釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3519
2018-2019年度
11回 例会報告
2018年09月27日
例 会 内 容
これからの国際協力 〜東南アジアの医療事情〜
お客さまのご紹介
脇 弘幸 会長
 それでは、ご紹介させていただきます。本日講師としてお越しいただきました学研釧路市貝塚教室、そして株式会社ティ・ジェイ・エスプリンク代表の斉藤賢之様でございます。  後ほど、ご講演いただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
年功バッジ贈呈
脇 弘幸 会長
RI第2500地区より2017-2018年度の出席優秀会員として、通算年数30年・35年・40年・45年に達した会員の方の功績を称え、年功バッジを贈呈させていただくものです。 今回、当クラブから出席優秀30年の滝越康雄君、同じく35年の稲澤優君、そして45年の打矢静司君に年功バッチが届いておりますのでお渡ししたいと思います。
 それでは、滝越君より一言お願いしたいと思います。
通算年数30年 滝越 康雄 会員
 何でも想定外を商売にしますけれども、こういう想定外はちょっと辛いですね。30年経っているということは知っていましたが、最近自分の年齢もロータリーの在籍年数も聞かれたらちょっと答えにくかったのですけれども、そんなに長くいたかと思ってあっという間でございました。大した活躍もしていないで、いまここ半年・1年はそれを挽回する意味で一生懸命やっていますので、ご支援をよろしくお願いいたします。
会長の時間
会長挨拶 脇 弘幸 会長
 皆さん改めまして、こんにちは。やっと右手のギプスがとれました。ギプスをしての2週間、なんとか頑張り抜きました。昨日の午前中にギプスを外したばかりですので、右手は、まだ自由には動かない状態ですが、これからリハビリをして2ヶ月から3ヶ月ぐらいをめどに完全復活を目指していきたいと思っているところでございます。
 そして、明日28日から帯広で今年度の地区大会が開催されます。今回の地区大会には、当クラブから40名ほどの登録をいただいております。大会の2日目、29日の夕方になると思いますが、ご参加いただいたメンバー全員で登壇をさせていただき、次年度2019-2020年度に釧路で開催される『地区大会』のPRをしてきたいと思いますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。登壇する際には、横断幕を持って上がろうと思っています。その横断幕もできあがっています。あちらの掲示板に小さなサイズのものがありますが、実際は縦1m、横10mの大きさで作っていますので、それを持って登壇をし、みんなでPRをしたいと思います。
 そして、本日の例会は、『これからの国際協力』と題して斉藤様にご講演をいただくわけでございますが、当クラブでは、これまでに「タイでの水の浄化装置の設置」、それから「ブータンの小学校への浄水タンクの設置」、また昨年は「タイでの結核予防」などの国際奉仕事業を手掛けてきたところでございます。
 そこで本日は、ロータリーの国際奉仕の経緯といいますか、国際奉仕の始まりを少しお話ししてみたいと思います。
 皆さんご承知のことと思いますが、ロータリーの奉仕部門には5つの部門がございます。その第4の奉仕部門が国際奉仕となります。国際奉仕は、「国際理解・親善・平和を推進するために実施するすべての活動」をいいます。
 初期のロータリーには、現在考えられているような人道的な奉仕活動を主体とした国際奉仕という概念がほとんどありませんでした。
 そして、ロータリーがアメリカ以外の国に広がって行くのですが、その広がって行ったことを受けて、違う国のロータリアンの相互訪問、交流ということが行われていきます。その相互訪問が発展してクラブ同士の交流というものに繋がっていきます。
 そうした中で、1914年に第一次世界大戦が勃発をして、1917年頃にはアメリカやカナダ、ヨーロッパのロータリークラブが各地の避難民や戦争でケガや病気をした軍人、また復員して来た軍人に対して、いろいろなボランティア活動や物資の支援などを行っていきます。
 こうした歴史的な背景を受けて、1922年に国際奉仕をしっかりと捉えようと、「奉仕の理想に結ばれた事業と専門職務に携わる人、及び地域社会のリーダーの世界的親交によって、国際間の理解と親善と平和を推進すること」という国際奉仕の概念が綱領の中に正式に明文化されて、現在の国際奉仕に繋がっているということになります。
 ですから、国際奉仕はロータリーの交流から戦争というものを経て、そこから国を越えていろいろな奉仕活動にロータリーが進んで現在に至ったということになります。
 ちなみに、ロータリーの綱領ですが、日本語に訳されたものが2012年にその日本語訳が改訂されて、現在の「ロータリーの目的」となっています。また、その中の4つの項目の日本語訳も見直されて表記が変更されています。
 時間の都合で、触りの部分だけの話となってしまいましたが、国際奉仕についてお伝えをし、会長挨拶に代えさせていただきます。
 本日は、どうぞよろしくお願いいたします。
本日のプログラム
これからの国際協力 〜東南アジアの医療事情〜
プログラム委員会 委員長 日理 一哉 会員
 それでは、本日、学研の釧路市貝塚教室及び株式会社ティ・ジェイ・エスプリンク代表の斉藤賢之様より『これからの国際協力 〜東南アジアの医療事情〜』ということでお話しをいただきたいと思います。それでは早速、斉藤先生、よろしくお願いいたします。
学研釧路市貝塚教室及び株式会社ティ・ジェイ・エスプリンク代表 斉藤 賢之様
 こんにちは。斉藤賢之と申します。格調高い釧路ロータリークラブの席で、高い所から失礼いたしますが30分の時間をいただきましたのでお話しをさせていただきたいと思います。
 この写真ですけれども、直近タイに3〜4年おりました。
 その中で1月26日にトライアスロンの大会があり、制限時間内に完走できたというところでございます。当地は1月26日だったのですが30度の気温の中、なんとか完走できました。今年も8月19日に洞爺湖トライアスロン・北海道トライアスロンという大会がありました。それも若干距離が長くなるのですが洞爺湖を2q、それから自転車で羊蹄山140qを回って、最後に23qを走るというコースなのですが、制限時間11時間の中で10時間48分とギリギリでなんとか。その後のリバウンドで、今かなり体重をコントロールしなければならないと思っております。
 再度改めまして、斉藤賢之と申します。昭和40年釧路市の日赤病院で生まれ53歳でございます。高卒後大学に進学し、それから一般の民間企業に就職。その中で企業のボランティア休暇制度というものがありまして、高校時代に漠然とテレビで見た青年海外協力隊に応募してみたいとずっと思っていましたけれども、結婚し子供もいましたけれども、ボランティア休暇制度を使えば家族に迷惑をかけずに行けるのではないかと応募したところ、ラオスのマラリア対策をきっかけに国際協力のフィールドに入っていくことになりました。
 それから足掛けもう17年くらい東南アジア、ラオス・カンボジア・フィリピン・タイ、という所で生活というか仕事をさせていただきました。
 趣味・特技としてはオートバイや冒険的な旅行、あるいはB級グルメです。高校時代は柔道の幽霊部員として頑張らなかったので大学時代は、東京農業大学ですけれども、農学部というよりもラグビー部を一生懸命頑張りまして、当時は2部の3位で最終的に終わりました。2部の中には、関東学院や大東文化大学などがありまして、もういま農大ラグビー部は3部くらいになっているかもしれませんが、そういった経験があります。
 また、最後、釧路へ帰って来たきっかけとしては、元気ですけれども高齢になった両親がおりまして、両親の近くに住むことができたら良いなということでございます。その中で、いままで東南アジアで経験して来たことを活かして、教育・福祉・国際化というものを追求していきたいと思っています。
 特に東南アジアから気持ちの良い志のある人材を発掘し、具体的には介護事業ですが『東北海道介護事業協同組合』が釧路で設置されます。この方々と一緒に私の経験を活かして、介護だけではなく酪農・水産加工等の職場を紹介し、ただ紹介するだけではなくその方々に対してフォローをする。あるいは釧路の国際化といいますか、釧路の方々にも「海外は、具体的にはこういう方々が多いのですよ」ということも紹介できたら良いと思っています。
 また、健康・スポーツ・酪農等に観光の要素を取り入れた、いわゆるメディカルツーリズム、スポーツツーリズム、それからグリーンツーリズムなども私なりの経験を活かして釧路をなんとか活性化していきたいという思いを持っております。
 これは、皆さんにご紹介するのも僭越ですけれども、東南アジアの様相です。私が最初におりましたのは、ラオスそしてベトナムです。この国境付近の僻地のマラリア対策を診断・治療・予防・健康教育という形をパッケージにして巡回型で行っていました。その後、協力隊を辞めた後も、NGOのお誘いを受けてラオスで母子保健の活動をしていました。その後にフィリピンでは、国連の世界食糧計画というところでミンダナオ島の紛争直後のマッピングです。いろいろな情報を集約し、それを県知事あるいは地域の為政者の方々に「お宅はこのようになっていますよ」という情報を提供する仕事をさせていただきました。またフィリピンは結構災害の多い国で、災害直後の緊急食糧支援などもやっておりました。
 そして、カンボジア・タイ。こちらは一旦国連の活動が終わった後に2013年ですけれども里心がつきまして、その後「南スーダンに働き口があるよ」と。南スーダンもフィリピンも日本の支援が強いところです。私のような本当に下っ端で国連に入った者にとって、そういった口があるよという話でしたけれども、その2013年の時点で一旦釧路へ帰ろうかと思っておりました。
 ただ釧路へ帰っても仕事がない状況が続きまして、介護事業を自分でやってみたいという思いがありまして、釧路で介護事業をやりたいと思っていたところ、カンボジアで病院建設をしている社会福祉法人の方とめぐりあいまして、その病院の建設事業、あるいはタイには日本人が非常に多いですからタイの民間病院に対する日本人外来の担当者というような形で活動をしておりました。そして、直近はタイで介護事業をやろうということで、『ティ・ジェイ・エスプリンク』という会社を立ち上げたという次第でございます。
 おおまかに申し上げますと、ラオスでの活動、フィリピンでの活動、それからタイ・カンボジアでの活動という形になります。
 ラオスでは、青年海外協力隊の隊員として、あるいはその互助保険のNGOの現地代表という形で活動をしました。活動地は申し上げましたが、ベトナムとラオスの国境近い所にあります僻地。簡単にご紹介をした写真がありますのでご紹介したいと思います。そこで僻地巡回型のマラリアの集団検診、あるいは治療予防パッケージにしていた活動、NGOのときには「乳幼児死亡率が非常に高い、これはなぜなのだろう」ということで、われわれなりの結論としては、お母さんに対する栄養がうまくいっていないのではないかということで、妊婦と乳幼児に対するビタミンB1の配布、あるいはそういった政策提言などを県の保険局にやっておりました。
 第2期としては、その後このままで良いのだろうか、砂漠に砂を撒くような活動が本当に当地に役に立っているのだろうかという疑問があり、一旦日本へ帰りまして国際協力に関する勉強をやり直しました。
 当時、JICA東京で、長期研修員を受入れるような仕事をしておりました。2009年だったのですが民主党政権に交代し、事業仕分け「国際協力が必要ですか」ということで、私はその当時非正規雇用で働いていたものですからストンと首を切られてしました。
 当時、国際協力の勉強をしていた関係で、お世話になっていた先生のご紹介などもあり「斉藤、ちょっと国連でも受験してみるか」と。国連の入職の仕方は非常にレベルの高い高度な試験を受けて入職する者、あるいは日本であれば中央官庁から派遣をするような形、あるいは僕のようなボランティアレベルで活動をしていた者が入れるようなコース、おおまかにいうと3つぐらいあるのです。その中で、自分の活動経験をまとめ、教授のエンドースメントをいただいて最終的には英語のインタビューを通じて「じゃ、行きましょう」ということで、先ほど申し上げました内戦直後のミンダナオ島のラナオデルノルテという所で、県レベルでのIPCというものが、Integrated Food Security Phase Classification、食糧安全保障に関するマッピングです。「道は通りますか。どうですか」という、ありとあらゆる食糧に関する情報を集約し県の為政者の方に伝える。あるいは台風の通り道になっていて、その後の緊急災害支援というようなことをやっておりました。
 当時、私は埼玉に女房と子どもがおりまして、そこから単身赴任という形で仕事をしていました。埼玉にあります社会福祉法人元気村からタイのシカリン病院に出向しつつ、カンボジアの病院建設に携わったという形でございます。
 これは、2000年当時マラリア対策をしていましたカモアン県の様子でございます。ヘルス・ポスト、地域の診療所です。非常に粗末、あるのはマラリアと結核の薬などのエッセンシャルドラッグですけれども本当に一部の抗生剤などしかないような状況で、看護師の方がたまに来たり来なかったりという状況です。
 この写真、結構大きい20〜30m位のきれいな池がありまして「これは何ですか」と聞いたら、これは「ベトナム戦争当時の爆弾の跡で、そこに水たまりができ、池になった」という状況です。
 これも少し見づらくて恐縮ですけれども、家の軒下です。高床式の住居になっているのですけれども、そこに鉄製の船みたいになっています。あれはクラスター爆弾を入れるため。「何をしているの」という話をすると、「ここで家庭菜園をする」。「下でやれば良いじゃないか」ということになるのですが、下にはブタやトリやウシがたくさん野放しになっているのでこのようなものを活用しています。
 これは、マラリアの患者さんで健康教育をやっている様子です。これは、集団検診、これは食事の風景です。この辺を見ていただくと、アルミ製ですけれども本来でしたら竹で編むところがアルミ製の不発弾の材料を使っています。当然、水道・電気・ガスはありませんので川が水源になります。そうすると、どうしても小さい子供たちなどは生水を飲んでしまうことになりますので、下痢の原因です。この辺は結構きれいな水ですが、子供たちもなかなか教育というか習慣というか風土というか。ここは、ウシやブタなどと一緒に生活する環境。洗濯も体を洗うのも水を汲むのもまったく同じ所で、動物も一緒にいます。これは、さっき食べていたジャックフルーツという食べ物です。
 村に行くと最初に村長に活動許可を求めます。「この村に来てマラリア対策の仕事をしたいのですけれどもよろしいでしようか」と趣旨を説明して3日くらいいます。そうして許可が下りると、村の人達がご飯やいろいろな食べ物を持ち寄って宴会が始まります。ここにあるものはお酒です。餅米で作って発酵させたものにストローを刺して飲むというような。それで「村の一員として受け入れられましたね。じゃ、どうぞやってください」というような形。

 これは、村長さんとのスナップですけれども後ろは棺桶です。お父さんが亡くなったときにたまたま行き合ったところです。
 これは不発弾で、こういうことをしてはいけないと思いますけれども、若かりし頃に調子に乗った写真です。
 これもベトナム戦争で撃たれたお婆さんが「私はこういう経験があるのよ」ということを紹介。ただ貧しい村ではあると思いますけれども子供たちの目は結構輝いていたりする子もいるのです。
 これは、カエルや鳥の足など、食事に供しています。
 これはオートバイで転んでヘルス・ポストで治療をしています。衛生環境が悪いと子供たちや弱い方にこういってしまう。この方は結核です。この方は交通事故です。この方は後ろに配布した蚊帳ですけれども、蚊帳の使い方がやっぱり正しく使われないと皆さんマラリアの陽性になってしまうということです。
 この方は、結核。ご存じだと思いますけれども、ドッズと言ってダイレクト・オブ・ザ・べーション・トリートメントという2週間位決まった薬剤を投与する。それをやっている途中なのです。エイズ・マラリア・結核というものは非常に貧困と結びつきが強いと言われており、ギリギリになって具合が悪くなり痩せ細るまで、もう死ぬ間際になるまで医療の手が行き届かない。双方にだと思いますけれども、なかなか来られないので重症化してから診ることがどうしてもあります。
 これは、健康教育のひとつです。これは民族衣装。この方は、結核ではなかったのですけれども、非常にバイタルサインも弱く、その後いなくなってしまったという。
 これは上空から見たメコン川です。
 これは2000年当時の協力隊隊員の様相です。真ん中の方は、副首相の方でザイダオス日本大使館の大使。こちらがJICAの所長。私は左上の方にいます。昔は髪の毛もありまして、30代でももう歳はいっている方です。僕が行ったのは35歳くらいでしたけれども平均的には28歳〜30歳前後の方が協力隊員として行かれているようでございます。
 これは、ヘルス・ポストの中、マラリア治療をしている子供です。前日にその赤ちゃんをヘルス・ポストで産んだ、お互いに10代です。マラリアのコントロールとテストで陽性になっています。薬剤を浸漬させた蚊帳を配布します。そして蚊が付いて来たところで蚊をやつけるというところです。1年に1回・半年に1回くらいやりたいという感じです。
 これは、ラオスで日本にいてJICA研修員として受け入れた方々、幹部候補の方です。いまでは、多分この方は科学技術大臣や文部省の大臣になっているような方です。
 これは、たばこで、それは食料です。これが料理で、雨季になったりすると交通が不便になりますので、バイクなども使って移動をするというところでございます。
 この方、隊員というかカウンターパートというか、県の職員です。転んで姿がまったく見えなくなってしまって大慌て、意外とここにかかったりしています。
 この水を汲み出さないと段々沈みそうな船を使って移動をしていたという思い出でございます。今はだいぶ道は良くなったと思いますけれども雨季になるとまったく冠水してしまいます。そしてマラリアの子です。
 これがラオスの様子です。こちらは変わりましてフィリピンです。セブ島という世界的なリゾートでWFPの研修をやったところでございます。慰安旅行を兼ねた研修というところです。ローカルスタッフの方々、ムスリムの方です。ローカルスタッフにいます。直属の上司のインド人の方で、英語は最初のうちはまったく分からなくて困りました。隣はアフリカ系の専門家の方。総勢50人くらい。この方は、アメリカでカントリー・ダイレクターという支店長的な役割の方ですけれども、ピースコーという日本の協力隊に似たような形の組織で、アフリカで活動をしていたところから始まりました。総勢50人の中で僕も含めて外国人は10人くらいいるような組織でありました。
 マッピング。いろいろな地域へ行って情報を拾って来ているところのワークショップやっている様子です。
 この方は、NNC(National Nutrition Council)といって国家栄養組織というような組織の全国レベルの長の方で、そういったところで栄養に関する情報をこの会は集約しようというところです。
 実際に村にまで降りて行って、これはその軍・県独自でやっている情報の集約の様子です。日本の母子手帳なども普及を目指しておりまして、成長の記録を身長・体重などをとってスクリーニングをしている。若干ラオスよりは進んでいるという感じです。集まって来る中には、やっぱりあまり調子が良くなさそうだという人なども見えたり、というところです。
 これは、カンボジアの様子です。カンボジアとタイに配属、両方を診るような。こちらはタイ病院の日本人外来の待合室です。アジア・メディカルセンター、ちょっと読みづらいかもしれませんが、タイのシカリン病院というところのアジア・メディカルセンター。日本人だけではありませんが、中東などのタイへ来る患者が結構多いので、受付をしたり医療通訳をしたりします。これは診察室で、医師と患者がいる様子です。待合室です。
 こちらがカンボジアのシンナムさんという、シェムリアップ湖のほど近くにある政治的に権力の非常に強い方の個人宅です。振り返ると、ひっそりと病院をつくっているという様子。この病院もいまできているかどうかは分からないのですけれども、私は途中で辞めてしまいましたので、その様子をスナップにしました。
 もちろんご存じだと思いますけれども、カンボジアは40代の方が、極端に人数が少ないのです。ポルポトの関係で。その形で孤児になる方が多く、孤児院の建設、もしくは学校の建設、小学校の建設などもやっておりまして、そこへ慰問に行っているところです。
 これは結婚式です。少し「いっこく堂」に似た人が、カンボジアで医師のライセンスをとったものの技術レベルは非常に低いものですから、日本へ来て研修をしたり、タイで研修をしたりしていたのですが、なにせその病院の建設が間に合わないということでこの人も辞めてしまい、結婚式にだけなぜか呼ばれているというところです。その代わりに入って来たカンボジア人の内科のお医者さん。ただ、空港の使い方が分からなったのか3時間くらい待っても全然探し当てられず、ツーリストポリスに頼んでなんとか見つけて来たというところです。
 変わってタイは非常に整形をしたり、美人であることを自ら強調して看護師の方は一生懸命頑張っている。僕が、たまさま呼吸器があまり強くないので肺炎になってしまったところです。
 最後に、いまは病院と提携をして例の介護人材の育成に関するひとつですけれども、タイの病院と連携をしましてやっている様子です。在宅介護の手伝いをしているのですが、なかなか病院の中に長期療養することができずにおります。どうしても病院の外に自宅に帰る。そうするとリハビリができないとか、なんと言うのでしょうか適切な医療が受けられずにほったらかしに。したくてやっているわけではないのですけれども医療の手が届かないところでお手伝いをさせていただいていたところです。
「長期療養型の病院があったら良いですか」を大学の方と一緒にアンケート調査をしているところでございます。この方は釧路に2015年に研修に連れて来た方です。いまは病院の幹部になって教育にいそしむとのこと。
 非常に駆け足となってしまいまして恐縮だったのですけれども、なかなか写真が整理できずに申しわけございません。
 まとめというわけではないのですけれども、最初は僕、日本の医療は良いのだから教えてあげようという思いで行きましたけれども、正直に申し上げますと、向こうの方々から学んだことが非常に多くあります。その中で、ものの見方というのは「トライアンギュレーション」でも皆さん釈迦に説法で恐縮ですけれども、あるいは「ジョハリの窓」といった形で自分自身をまず理解すること。あるいは多角的ににものをみること。幸運にも、JICA・国連・NGOなどの考え方を経験することができました。昨今、言われていますが、グローバルリズムやナショナルリズムと言われますけれども、どうしても極端から極端に考えがいくのではなく、いろいろなものの考え方やあり方を許容しつつ、なんとかこの釧路に僕の経験を活かして今後お手伝いをしていきたいという思いでございます。
すみません。時間も押してしまいました。どうもご静聴ありがとうございました。
会長謝辞 脇  弘幸 会長
 斉藤様におかれましては、お忙しい中、ご講演をいただきまして大変ありがとうございました。お話しをお聞きしまして、国際奉仕の必要性、また大切さを改めて感じたところでございます。
 斉藤様におかれましては、これまでの豊富な経験を活かし、今後さらにご活躍されますことをご期待申し上げるところでございます。
本日は、誠にありがとうございました。


閉会・点鐘
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浅野 清貴クイズ大会優勝ありがとうございます。
川合 隆俊
小林 隆志優勝ありがとうございます。
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杉山 宏司ありがとうございます。
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土橋 賢一
吉田 秀俊御礼
杉浦 裕之なゆたの会、3回目の優勝ありがとうございます。
今年度累計 304,000円