釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3526
2018-2019年度
18回 例会報告
2018年11月15日
例 会 内 容
〜悩ましきもの日本語〜
会長の時間
会長挨拶 脇 弘幸 会長
 皆さん、こんにちは。会長の時間ということですので、お話をさせていただきます。
 今月の25日に帯広で『ロータリー財団補助金管理セミナー』が開催されます。このセミナーは、次年度にロータリー財団の補助金を受けようとする場合には、セミナーに出席することが義務づけられているものです。次年度の事業が対象ということになりますので、当クラブからは天方会長エレクトが出席をする予定となっています。
 そのセミナーの中で、地区補助金を活用した事例として、当クラブで創立80周年の事業としてスタートし、今年度で3年目となる「算数・数学検定助成事業」について発表をしてほしいという依頼が地区からありました。事例として発表をしてほしいということですから、この「算数・数学検定助成事業」に対して、地区より評価をしていただいたものだと勝手に思っているところでございます。
 当日の事例発表は、奉仕プロジェクト委員会の中島大委員長が発表者を務めていただくことになっています。現在、第1回目からの資料等を集めて準備を進めているところでございますので、クラブを代表してしっかりと報告をしていただけることと思います。
 それと、財団関係ということでお話をしますと、次年度2019-2020年度、吉田潤司ガバナーの年度に地区の財団部門の中に『世界平和フェロー委員会』の設置を検討していると聞いています。どういった組織になるのか、詳細は聞いてはおりませんが委員会の設置を検討中とのことです。
 この世界平和フェローとは、世界平和と紛争解決などの専門知識を学ぶ学生のことで、その学生にロータリー平和フェローシップを提供するというロータリー財団の教育的プログラムで、2002年からスタートしている事業です。
 話が少しそれてしまいますが、私は横文字がとても苦手で、日本語も危ういのですが、それでこの『Fellowship』という言葉ですが、ロータリーでは親睦という意味で捉えています。親睦活動委員会が掛けているタスキにもFellowshipと書かれていますが、Fellowshipの意味はどういうものかと思い調べてみました。
 Fellowshipの意味としては、一つ目に「仲間であること、友達付き合い、仲間意識」ということが出てきます。二つ目に「大学などの特別研究員の地位、また特別研究員に与えられる奨学金」と出てきました。ですから、この平和フェローシップは二つ目の意味に当たるのかなと思います。
 また、Fellowshipの元の言葉となる『Fellow』の意味についても確認してみました。そうしますと、その意味は「仲間・友達・同僚」ということになるようです。では、ロータリー財団への寄附の認証にもある"ポール・ハリス・フェロー"はどうなのか。ここにもFellowが付いていますので、「ポール・ハリスの仲間」では、どうも単純すぎるような気がします。もう少しロータリーらしく考えますと、「ポール・ハリスの理念や目的を共有する仲間」と理解してもいいのではないかと思います。
 そうすると、親睦と訳しているフェローシップも「共通の理念や目的をもった友達付き合い、仲間意識」と解釈してもよいのではないかと個人的には思うところでございます。
 これから目前に迫ったガバナー年度に向かって、「共通の理念や目的をもった友達付き合い、仲間意識」としてのフェローシップをしっかりと発揮して、会員一丸となって進んでいきたいと思います。
 簡単ですが、本日の会長挨拶とさせていただきます。
本日のプログラム
〜悩ましきもの日本語〜
プログラム委員会 委員長 日理 一哉 会員
 プログラム委員会です。よろしくお願いいたします。本日は先ほどご紹介ありました「〜悩ましきもの日本語〜」ということで、北海道新聞釧路支社長菅原会員よりご講話をいただきます。楽しみにしております。それでは、早速よろしくお願いいたします。
北海道新聞釧路支社長 菅原 淳 会員
 こんにちは。菅原でございます。私自身が釧路ロータリーの会員ということですが、この歴史と伝統のある釧路ロータリーでお話をするということで大変緊張しております。また、お世話になっている意味では、先般のどんぱく花火大会、それからエンジン01などで、さまざまな形でご協力・ご協賛いただきましてありがとうございます。そして、日々、北海道新聞をご愛読してくださりまして大変ありがとうございます。
 昨日は北洋銀行の「はまなすクラブ懇親会」、会場はANAクラウンプラザで美味しいカニとワインを楽しませていただきました。今日は、栗林会長、阿部支店長もいらしてますが、私の家は大地みらい信金の久寿里橋を渡ったところですから、嫌でも末広の街を通らないと帰れない仕組みになっておりまして、やはり引っかかってしまいまして、釧路経済に貢献し、これも奉仕活動かなと思ったりして気付いたらマイクを手に握っておりました。
 少し喉が痛いのでお聞き苦しいところがあるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
 戌年生まれ、先日ワンワン大集合というのがありましたが、そこにも行ってまいりました。これまで転地を伴う移動が11回。釧路に来るまで引っ越しを15回しております。
 釧路に来る前の前に、ニュース解説をやっていました。例えば、(スライド)これは南極海捕鯨ですので鯨の画などを含めて見ていただく仕事をしました。それから若い時、(スライド)これは大蔵省を担当している時に「拓銀の経営破綻」の記事を書いたのは私なのです。当時、大蔵省を回っていて、もう亡くなったある国会議員から「明日、拓銀が破綻します」というご連絡をいただいた。紙面があれば特ダネでしたが、たまたま休刊日で「残念でした」というか、実はホッとしました。休刊日で良かったなと思ったりもしました。それから、(スライド)アメリカ同時テロの時にワシントンにいました。この原稿を送った後にすぐニューヨークの現場に行きました。これは3か月か4か月が経ったあとの現場なのですがテロ行為の悲惨さがとても身に染みて分かっているつもりです。
 これが貿易センタービルです。それが無くなってしまった、ニューヨークの風景が全く変わるものになったと。こういう争いごとを本当に辛いものだなと思っておりました。
 そこで卓上四季であります。卓上四季は字数が決まっているのです。今ですと563字。毎日、専任のコラムニストが1日1本書かないといけないので、土日を除くと年間だいたい250本を書きます。これを私は4年やりましたので1,000本書いたことになります。土日は上司・主幹か論説員室の一番偉い人、それからサブが東京と札幌に1人ずついて応援します。夏休みは他の論説員も担当します。だいたい、歴代のコラムニストは3年前後。私の場合は4年で1,000本ちょっとやりました。私は第16代で今は19代目になっています。
 でも、1,000本位では決して自慢できることではなくて、読売新聞のコラムをこの間まで書いていました竹内政明さん、この方は北大を出た方ですが、16年なので5,000本くらい書いたのではないかと思います。朝日新聞では昔々、荒垣秀雄さんという方がいらっしゃり18年で6,000本書いた大先輩もいらっしゃるので、まだまだ"ポッとで"であります。
 ここでお手元の資料になります。一番上が今の563字パターン。563字というのは、縦が19文字、横幅が31文字。ここに4文字・5行で20文字分のスペースがあります。それから日付の分が6文字。これを計算しますと563文字です。
 2014年までは、縦10文字で58行。ここの卓上四季のカットが20字で560にピッタリに抑えなければいけない。2008年までは11字と53行でこの幅が6行と4文字で24字と。こういう形でやっています。
 ▼(三角)の位置も気にします、と書いてありますが、これはWの形にしております。▼の上3文字、下の長さも同じです。これはMの字にしております。▼がそろっていますね、上は3文字、下は4文字。これもMにしております。こういう形に、今の方はやっていませんが、私はやっていました。ばかばかしいと思うでしょう。なんでそんなことを気にするのだと。
 これが意外と文章を磨くことになります。つまり、上の例でいけば、この▼が最初はこの辺に来てしまったけども、どうしてもここに持って行きたいと。そうすると文章をもう一回練り直すのです。悪くは変えませんので文章が考える分良くなる。ですので、▼の位置を決めるというのは▼の数は必ず5つなのですが、一番後ろまでいきますから6回文章を考え直す機会になると。そういう意味で▼の位置を合わせています。
 遊びでひとつめくっていただきますと、隠されたVサインというのがあります。中を読んでいただくと分かりますが、プロ野球の日本ハムがクライマックスシリーズに出た時は必ず▼をVの形に置いています。(資料)これはいずれも2007年10月のロッテとやった時のシリーズですが、北海道新聞1面の下に、この日本ハムを応援するVサインを置いている。もちろん遊びなのですが、こういうのもいいじゃないのかと思ってやっておりました。
(資料)またひとつめくっていただきますと、毎日毎日書くので、これが大変なのです。冒頭に話しましたけれども、眠る前にこのまま夜が明けなければいいなと思うわけです。それでも朝はくるけれど、ちっとも爽やかじゃない。なぜかというと、また今日も書かないといけない。今日は書けないのではないかと思うわけです。それから何を書いたらいいんだ、テーマによっては他紙の方がずっと面白いのじゃないか。そういうことで、非常にどんよりした気持ちで朝を迎え、そして1日を過ごす。ですので、次の日も書かなきゃいけないのでリセットしなければいけない。
 最後の方ですが、毎日ビールを3本、年間アルコール換算で1,000本くらい飲みますね。日本酒換算ですと4合瓶を毎日1本ずつくらい、ワインも1本ずつくらいで、ぜんぜん分からなくなる。記憶をぶっ飛ばすくらい飲んで、次の日の朝を迎えます。それでリセット、体重は4年で6kg痩せました。4年で1,000本書いて6kg痩せたということは1本当たり6gのダイエット効果があると。こういうことなので、メタボに悩む仲間には「あなた卓上四季を書いたらどうか」と薦めております。
 今日は書けないのではないか、何をテーマにすればいいのか、他紙の方がずっと面白く書けているのではないかと申し上げました。その実例が(資料)お手元にもありますが「三遊亭円楽さん引退」。これは2007年2月27日、どの新聞にも載っています。
(資料)「天声人語」朝日新聞から読みましょうか。「神谷幸右衛門。落語の『大仏餅』は、しゃべり慣れた演目なのに、その名前が出てこない。申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」。昭和の名人といわれた八代目桂文楽が高座で絶句したのは1971年、以後高座にあがることはなかった。精巧で、寸分の狂いもない芸を極めた文楽だが、晩年は、高座で絶句するという恐ろしい日に備えて、あの詫び口上のけいこまでしていたという(『日本人の自伝』平凡社)。
 三遊亭円楽さんが、高座で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。「呂律が回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」。一昨年に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けて高座に戻ってきたのに、残念なことだ。
「お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えていたんじゃ、私自身が許さないんです」。一時代を担ってきたという誇りと芸への厳しい思いがにじむ。「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさんこと」と、世阿弥の「風姿花伝」にある。多くの人を楽しませ、感動させることが芸能の目的だとすれば、円楽さんもそうした芸のために才を磨いてきたのだろう。世阿弥は、50歳を超えたら「何もしないこと以外には手段もあるまい」とする一方で、52歳になった父観阿弥の舞台が「ことに華やかにて、建物の上下、一同に褒美せしなり」とも記した。円楽さん特有の華が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。ひとつの形ですよね。
 読売新聞「編集手帳」、(資料)一番下です。
 あなたのお名前は。私は芝片門前に住まいおりました。続く、神谷幸右衛門という人物名が口から出てこない。「誠に申し訳ございません。勉強しなおしてまいります」。
 
 同じ日に書いているのに同じ言葉ですよね。
 国立劇場小劇場で「落語・大仏餅」を公演中に故・桂文楽は絶句し、深々と頭を下げて高座を降りた。36年前、昭和の名人と謳われた人は78歳である。以後、亡くなるまで話を聞かせることはなかった。頭には治癒可能とうつる小さな傷にも致命傷の自己診断を下す。芸道に精進してきた人の引き際は今も昔も潔い。こんな調子で恥をかきたくない。遊亭円楽さん74歳が一昨日引退を表明した。国立演芸場で「芝浜」の一席を終えた記者会見である。脳梗塞で倒れた影響であろう、舌の回らぬ箇所があったことを自ら酷評し、まだ大丈夫と言って下さるお客もいるだろうが、甘えは私自身が許さない。淡々と胸中を語った。
 とりわけ功績に艶と華があった人だけに病後の自分が歯がゆくてならないのだろう。幾度となく笑っては泣かされた絶品の「藪入り」も寄席ではもう聞くことができない。客の前で絶句する恐るべき日に備え、文楽は詫び口上の稽古をしていたという。
「ある人は老いを相手に、ある人は病を相手に白刃で斬り結ぶ。 高座とは『修羅場』の異名であるらしい」、かっこいいですね。
(資料)一番上は私が書きました。
 隙がなく洗練された芸で大名人と言われた落語家は先代の桂文楽(1971年没)だ。晩年は高座で話を忘れた時に備え、謝罪する文句まで練習していた。「申し訳ありません。もう一度勉強して出直してまいります」。
 不思議だと思いませんか。打ち合わせたわけではないのです。それなのに、しかも、円楽さんが引退したというのに何故か文楽の詫び口上の話をみんな思い出して、ここで使うんだ。これがコラムの気持ちなのです。それが私はとても不思議でしたし、こういうところに遅れちゃならないというか、それこそ白刃で切り結ぶということで、あまり変なことを書くことにならないので、たくさん勉強もしましたし、痩せる思いもしましたし、やってきました。文章を続けます。
 文楽はこれを本当に使った。「大仏餅」を演じた時だ、神谷幸右衛門という登場人物の名が出ない。客の前で絶句し、準備したとおり謝った。この後、二度と高座に上がらなかった(桑原稲敏『往生際の達人』)。
 同じこと言っているようですが、私は『往生際の達人』を読んだし、「天声人語」が引用したのは『日本人の自伝』平凡社です。編集手帳は出典がありませんが、かぎかっこの中身が微妙に違いますよね。コラムニストは違う本を読んでいる。同じ本から引っ張ってきているのではなく、たまたま違う本で同じような話を読んで、それが頭の中に留まって、「円楽さん引退」というニュースを聞いて今が使い時だと言って話を作ることなのです。
 闘病を続けていた三遊亭円楽さんが現役を退くと決めた。入門から52年になる。テレビ番組「笑点」の司会を昨年まで23年間務めた。近年は固有名詞など思い出しにくくなっていたという。「芝浜」が最後の演目となった。大酒飲みが大金を拾う、夫が身を持ち崩すことを案じる妻は「そんな話は酔って見た夢だ」と騙す。男は改心し真面目に働く。円楽さん特有の人情話だ。
 演じ終えて引退を表明した。「駄目ですね、こんな調子でまた恥をかきたくない。話のニュアンスが上手く出ない」。自分の美意識への誠実さがそう言わせるのだろうか。文楽と同様、現代の大御所の引き際は鮮やかである。言葉を大切にする、人の心に届けようとする、伝わらない時は深く恥じる、潔く去る。芸の道から厳しさを学ぶべきなのは、例えば政治の世界であり、報道の世界でもあろう。
 この辺、ちょっと下品ですね、今こうやって読むと。このときは単独で読むと下品で唐突な感じがしますが、ちょっと前に大臣が辞めたとか、政治資金のことがニュースになっていたとか、取材した時の録音を外部に流した新聞社があるとか。「政治家も新聞社もどうしたの」というのがちょうどニュースになっていた時なのでこういう書き方をしています。
 ついでですが、読売新聞のこの▼、これ同じ一本に揃っているのはお気づきでしょう。まっすぐ。私は例によってM字。朝日新聞はちゃんとは決めていないですね。そんなふうにしております。
 やっぱりオチで一番綺麗なのは読売新聞ですね、左下ですね。「ある人は老いを相手に、ある人は病を相手に白刃で切り結ぶ。高座とは修羅場の異名であるらしい」。これは私には絶対思いつかないフレーズです。絶対思いつかない。読売の竹内さんが去年、脳梗塞でお倒れになって降板しましたが16年間本当に素晴らしい文章書いてくださいました。私は「天声人語」に負けると思ったことはそんなにないですが、「編集手帳」に勝てると思ったこともそんなにないです。出だしはどうでしょうね。
 あなたのお名前は。私は芝片門前に住まいおりました。続く、神谷幸右衛門という人物名が口から出てこない。誠に申し訳ありません。これだと何のことか分からなくないですかね・・・、という気がします。芝片門前という地名は、東京の人は分かるかもしれませんけど。辞書を引かないと何と読むか分からないし、神谷(かみや)なのか神谷(かみたに)なのかちょっと分からない。
 真ん中の「天声人語」はいきなり神谷幸右衛門。「落語の大仏餅は喋り馴れた演目なのにその名前が出てこない。申し訳ありません。」これも私はわかりにくいと思います。例えば「饅頭こわい」とか、誰でも知っている落語なら別ですが、「大仏餅」はあまり知らない。
 で、私は桂文楽の話から、「隙がなく洗練された芸で大名人と呼ばれた落語家は先代の桂文楽だ。晩年は高座で話を忘れた時に備え、謝罪する文句まで練習していた、申し訳ありません」。出だしは私の方が分かりやすい、などと慰めるのです。オチは読売新聞、かっこいいけど、俺には書けないけど出だしは俺の方が良かったなと。その6g痩せるところが3gくらいで済んだのです。そういうことをやってまいりました。
 もう一本、植木等さんが亡くなった時も用意していますが。これは読む時間がありません。ありませんけども、上の三つが結構共通性があるのです。それは「分かっちゃいるけどやめられねぇ、という歌詞が親鸞の教えだった」と三つとも書いています。「卓上四季」はちょうど真ん中から少し左くらい。「天声人語」も真ん中から少し左くらい、「余録」は左から3分の1くらいのところに「親鸞の教え」が書いています。使いたいですね。コラムニスト、各紙のコラムは発想が似ているというか、社会的な評価といろんなことを考えて似たような構図になってしまうことのようです。
 資料をいろいろ作りましたが、そんなにできませんでした。「男は辛いよ」の東京・葛飾柴又に山田洋次ミュージアムを訪ねたことがあります。被災地で山田監督が、「阪神淡路震災の時、どうしたらいいんだと思った」ということらしいです。被災地で映画を撮っていいか迷いがあった。だけど、地元の人達が背中を押してくれた。「私たちがいま求めているのは傍にいて一緒に泣いてくれる、そして時々面白いことを言って笑わせてくれる寅さんのような人なんだよ」と、そんなことを言っています。人々と一緒に泣き、時々面白いことを言って笑わせてくれる。新聞は悪口ばかり言っているという印象もありますが、そういう中で一緒に泣く・笑うということを「卓上四季」で私は少なくともやろうと思ってまいりました。
 北海道新聞はそういう役割を持っていると思いますので今後とも皆さまと一緒に北海道の方と一緒に泣き笑いしていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
これで私の話を終わります。ありがとうございました。
会長謝辞 脇 弘幸 会長
 菅原支社長におかれましては、お忙しい中ご講話をいただき大変ありがとうございました。年間250本ものコラムを書かれたということで感心するばかりでございます。ロータリーでも会長などの役職に就きますと年度内にいくつかの文章を書くことがありますが、私は文章を書くことを非常に苦手としています。普段、日本語を使っていますが、というより日本語しかわかりませんが、その日本語でさえあまり言葉を知らないということから、今年度の会長基本方針を書くときにもとても苦労しました。この言葉が適切なのかどうなのか、簡単な言葉なのに辞書を引き直したりしました。また、発音が同じ言葉でも文字にすると違う意味となってしまうものもあります。日本語はとても難しいものだと思います。
文書ではないですが、会長として年間40数回の例会挨拶やその他でもいろいろな場面で挨拶をしますので、どのぐらい挨拶をするのでしょうか。たくさんのお話をさせていただきます。
会長として言葉の大切さというものをしっかりと考えて、これからも正しい日本語で皆さんにいろいろとお話ししていかなければならないと改めて思ったところでございます。
今日は、菅原支社長、本当にありがとうございました。


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お名前(敬称略)内     容
杉浦 裕之11月7日に釧路市ビジネスサポートセンターと包括連携協定を締結させていただきました。また、なゆたの会納会で年間優勝をいただきました。仕事もゴルフも頑張ります。
今年度累計 438,000円