釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3513
2018-2019年度
05回 例会報告
2018年08月02日
例 会 内 容
自然災害から身を守るために
お客さまのご紹介
脇 弘幸 会長
 本日のお客さまをご紹介させていただきます。本日の例会の講師として、お越しいただきました釧路市総務部防災危機管理課防災啓発推進員の田中宏明様でございます。後ほど、ご講演をいただきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
 もうひと方、今月の1日、昨日から勤務に就いていただいております2018-2019年度国際ロータリー第2500地区ガバナーエレクト事務所事務局員の三ツ石弥菜子さんです。これからガバナー事務局員として、私たちと一緒に活動していただくことになります。せっかくですので、木下地区幹事と三ツ石さんにご登壇いただいて、ガバナーエレクト事務所からのお知らせとご挨拶いただければと思います。よろしくお願いいたします。
木下 正明 地区幹事予定者
 こんにちは。脇会長からありましたように、8月1日から事務所を仮オープンしております。クラブ内の皆さま方におかれましては、ぜひ遊びに来ていろんなお話をしていただきたいと思います。
基本的に月曜日から金曜日の10時から17時までの勤務、土日が基本的にお休みです。お時間がある時に寄っていただき、われわれがおりましたら地区の状況をご説明もできます。会議もできますので、予約いただきまして遠慮なく行っていただければと思っております。詳しくは三ツ石弥菜さんから自己紹介をしていただきたいと思います。
ガバナーエレクト事務所事務局員 三ツ石弥菜子 様
 初めまして。三ツ石弥菜子 と申します。昨日から2年後の8月末までガバナー事務所でお世話になりますのでよろしくお願いいたします。
木下 正明 地区幹事予定者
 少し補足しますが、クラブ内の事務所開き自体は8月30日の夜間例会の前の16時半から行います。地区のお披露目というか地区にガバナー事務所開設のお知らせはもう少し後で、9月以降になると思います。よろしくどうぞお願いいたします。
会長の時間
会長挨拶 脇 弘幸 会長
 皆さん、こんにちは。先週は今年度最初の夜間例会ということで、お忙しい中、多くのメンバーの皆さまにお集まりいただきまして大変ありがとうございました。その例会の中では、私が消防設備関係の仕事をしているということから、「出初め式」という形の設えをしていただきまして、親睦活動委員会の皆さま大変ありがとうございました。この場をお借りして改めてお礼を申し上げる次第です。
 その「出初め式」は、和やかに楽しく進んだのですが、一つだけ残念だったところは、「出初め式」の中で私が行った『はしご乗り』です。この「はしご乗り」の完成度が非常に低くて、皆さんに満足していただけるようなものにはならなかったところが反省点かなと思っております。今年度、この後もいろいろあると思いますので何か披露することがある時には、しっかりとレベルの高いものを皆さんにお見せできたらいいなと思っております。とりあえず、皆さん温かい目で見守ってください。
 そして本日は、先ほどご紹介させていただきました釧路市総務部防災危機管理課防災啓発推進員の田中宏明様をお迎えしてご講演をいただくわけでございますが、田中講師と私は20代の頃からですから、30年近く前からの知り合いといいますか、いろいろとご指導いただいた大先輩ということになります。田中さんは、永く釧路市の消防に勤務されていて、釧路市消防本部西消防署長も務められた方でございます。
 また、当クラブ会員の石田パスト会長が会長を務めております北海道くしろ蝦夷太鼓保存会の副会長でもあり、現役として打ち手も務められていると聞いております。
 3年前の2015-2016年度の白幡ガバナー補佐の下で行ったIMの時にも、その蝦夷太鼓のメンバーとして来ていただいております。
 本日は、田中講師より「自然災害から身を守るために」と題してお話をしていただきますが、この釧路も皆さまご承知のとおり大きな地震が何度も起きていますし、近年は台風が直撃して大きな被害を受けています。一昨年の2016年8月には3つの台風が釧路に上陸して、その時には瞬間風速43.2mという釧路での観測史上最大の強風となっています。
 そして、その台風の時には、さすがの釧路湿原も海のようになっていたということです。釧路湿原はもともと「水面の見えないダム」と言われていて、雨が降ると湿原の中にスポンジのように水を貯めて、それを徐々に川へ流していくという働きがあるそうです。ですから、釧路湿原は釧路の街を洪水にならないように守っているということになります。
 最近では西日本豪雨災害がありますし、先日は台風12号が関東から四国・九州へとおかしなルートで進み大きな被害をだしています。西日本豪雨災害の時には、行政からの避難指示のタイミング等についてもいろいろと指摘されている部分もありますが、私たちもこの地域の住民として、何かあった時には行政からのいろいろな指示、そしてテレビ・ラジオからのいろいろな情報をしっかりと確認をしながら、対応をしていかなければならないと思います。
 このあと田中講師のお話をしっかりお聞きしまして、身を守るために災害時の対応について、意識を高めていくことができればと思います。
 簡単ではございますが、本日の会長挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
本日のプログラム
自然災害から身を守るために
プログラム委員会 大委員長 荒井 剛 会員
 では、本日のプログラムに入らせていただきます。本日は「自然災害から身を守るために」と題しまして釧路市総務部防災危機管理課防災啓発推進員の田中様よりご講演いただきます。詳しい紹介は先ほど脇会長からいただきました。1点だけ追加させていただきますと、田中様は東日本大震災の際には緊急消防援助隊として道東地区の隊長として現地に2週間ほど行かれた経験をお持ちです。
 そのような経験に基づきまして、非常にためになるお話をいただけると思っております。
それでは田中様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
釧路市総務部防災危機管理課防災啓発推進員 田中 宏明 様
 ただいま、ご紹介いただきました市の防災危機管理課に勤めます田中と申します。先ほど脇会長からご丁寧にご紹介いただきまして、私はどちらかというと祭り男なので楽しいお話の方がいいのですが、今日は自然災害から守るということで少し真面目なお話を皆さま方にお伝えしなければなりません。
 主に東日本大震災の教訓を主に30分ほど凝縮してお伝えします。これから最初に動画を見ていただきますが、7年前に発生しました東日本大震災は平成23年3月11日。これから流れる動画は皆さま方が知っている新聞・報道、あるいはいろんなものを超えて知らない写真とかが出てくるかもしれません。中にはショッキングな画像もあります。実際こういう災害が発生するとこういうふうになる、ということを見ていただきたいと思います。


"DVD鑑賞"


 今、東日本大震災の動画を見ていただきました。大体、概要は分かったのかなと思いますが、ほんの一コマなのです。まだまだ悲惨なことがたくさんあったと思います。普段、皆さま方と同じように生活していた方々が震度7の大きな地震と大津波によって約18,000人の方が亡くなっております。
 日本ではこの前に、震度7という大きな地震が発生しております。それが1995年1月17日(平成7年)の阪神淡路大震災です。これは午前5時46分に発生しまして、マグニチュード7.2、死者数が6,432名です。負傷者が43,000人余り。
 右側の方を見ていただきたいのですが、阪神淡路大震災のちょうど1年前にアメリカのロサンゼルス・ノースリッジで大地震が発生しました。ちょうど1年前の1月17日です。時間帯もほぼ同じ朝方、午前4時30分。マグニチュードも6.7ということで、ほぼ同じですが、死者数は阪神淡路の100分の1しか亡くなっていないです。負傷者に至っては57名、阪神は5,400名なのです。なぜ同じ日にち、同じ時間帯、同じマグニチュードで、このような死者や負傷者の数に開きがあったのかということなのです。
 当時、日本の総理大臣は日本社会党の村山富夫総理でした。第一報が総理に入ったのは地震発生から1時間50分後、約2時間かかったのです。一方、アメリカはクリントン大統領でしたが、わずか15分後に第一報が入っています。
 災害発生時の初動体制には、災害対策基本法というものがあり、これが稼働するわけです。当時は内閣総理大臣ではなくて二番目レベルの国土庁長官がトップに立っていたのです。本来は一番トップの内閣総理大臣が立てば良かったのですが、情報がまだ入って来ていなかったのです。
 また、日本のヘリコプター保有機数は当時世界3位でした。自衛隊に700機、民間機含めると1091機ありました。ただ、国交省には、当時は運輸省ですが、そのマニュアルには「地震時には離発着させたら駄目だ」というのがありヘリコプターを飛ばせなかった。
 一方、アメリカは午前4時50分には連邦危機管理長官に連絡があり、その1時間後にはカリフォルニア州の陸軍・空軍・海軍が総動員されて現地に向かったのです。日本は1時間50分後にようやく総理大臣のところに第一報が来ていました。
 至る所から火災が発生、神戸消防局発表によりますと、一時900何軒が同時火災。最終的には500何軒に訂正しましたが、多くの火災が発生して至る所から火が燃え広がった。
 ヘリコプターで上空から消化剤を撒けばもっとスムーズに消火することができたのですが、先ほどのようにヘリコプターを飛ばすことができなかった。そして何より、陸上自衛隊に知事とか市長が派遣要請をしたのが5時間後だったのです。
 内閣総理大臣のいろんな当時の体制もあったでしょう。確かにあったかもしれませんが、陸上自衛隊には5時間後、海上自衛隊にあっては15時間後、航空自衛隊にあっては16時間後にようやく派遣要請をしたのです。一方アメリカはすぐに上空にヘリコプターが舞って建物の被害状況を把握して地上部隊に送っていたということです。
 日本はそれだけ危機管理がぜんぜんなっていなかった。これは企業でも言えるのです。阪神淡路大震災を機に危機管理というのが日本で叫ばれて内閣に危機管理局、あと各地方自治体に危機管理課が置かれました。釧路は総務部防災危機管理課ができております。それまでは総務部総務課だったのです。総務課の職員が普通の総務の仕事をやって片手間に防災の仕事もやっていると。これを機に全国で防災に関する専門の部署ができたのです。
 これを機に危機管理ができましたので、東日本大震災の時はどのようになったかというと、14時46分に宮城県北部で震度7の地震が発生した。マグニチュード8.8だったのです。今回は早いですね、危機管理。首相官邸・危機管理センターに官邸対策室を設置したのはこの4分後です。岩手県知事が自衛隊派遣要請したのは6分後です。阪神では5時間後でした、それだけ危機管理がスムーズにできたのですね。
 いろんなところに情報がどんどん入ってきました。航空自衛隊は19分後に戦闘機が発進して上空からいろんな情報を部隊に送った。28分後には緊急対策本部がおかれてごらんのような形でできた。そして全閣僚の対策本部は1時間28分後にできた。
 ここ見ていただきたいのですが、東北6県で440万戸が停電した。釧路沖地震時、当時は合併前で約8万世帯ありましたが、それでも停電して大変な思いをしたのです。これは440万世帯ですから大変なことだった。
 先ほど震度7と言いました。我々は震度6の地震を平成5年、6年に2回経験しています。震度7の地震はどういう地震でしょうか。これを少し見ていただきたいと思います。


"DVD鑑賞"


(ナレーション)
 地震発生の15分前宮城テレビが取材中でした。それが午後14時46分50秒、一変しました。揺れが1分ほどで収まったと思われたその時、再度大きな揺れ。映像から地震の大きな揺れは2回あったと見られます。仙台市が揺れてから8秒後、揺れは岩手県盛岡市にも伝わりました。その2秒後には福島県郡山市へも。


"DVD鑑賞終了"


 まだまだ動画はありますが時間がないので飛ばします。これは宮城県の女川町ですが、この女川湾という所に津波が来ました。ここは木造住宅が建っている所ですが、ほとんど全部めちゃくちゃに崩壊しました。ここに女川共同ビルという鉄筋コンクリート3階建てビルがありました。これが津波によってこちらに押し流されて、半分なくなって倒れています。鉄筋コンクリートが押し流されるのですから大変な力なのです。
 これは女川役場から職員が撮った満潮時の記録。この時、女川に約20m以上の津波が押し寄せました。この辺は官公庁、町の主要な部分が集まった所です。これは女川町立病院で海抜20m、この20mの1階部分まで津波が押し寄せた。この下の部分は全部津波に飲み込まれたということなのです。こちらのビルも倒れている。鉄骨がむき出しになっている。この辺は木造住宅街で更地になっているのがあります。石油タンクも流されて倒れている。
 皆さん方、津波は波だけ来ると思っていると思います。ところが、津波というのは「ガレキ」も一緒に運んできます。ご覧のように木造・鉄骨・鉄筋・アスファルト、ありとあらゆるものを巻き込んでごらんのような形になります。
 もちろん、木造住宅は土台だけ残して跡形もなくなっています。こちらは先ほど動画でも出ましたがご遺体を置いています。無造作に置いているようですが、運ぶ車両がない。緊急消防援助隊や自衛隊の手によって発見してもなかなか運べない。このようなご遺体をすぐ発見できるのです。ところがこのガレキの下に何体もいて、それを探し出す。そのご遺体を遺体検死場所に運んで日赤病院の先生が1体、1体、男性か女性か、あるいは特徴はどういうのかを調べるのです。それを遺体安置所に搬送して、その家族がいないだろうか、自分の子供たちがいないだろうか探しに来るのです。
 屋内体育館は避難所だけではないのです。多くの死者が出るとこういう安置所にもなる。実際これが現場の本来の姿なのです。大きな災害が発生するとこういうことがおこることを忘れないでいただきたい。
 これは、釧路の130年間の災害発生状況です。一番多いのは地震、約1.9年間隔で起きています。次が暴風・波浪・内水氾濫が2.5年間隔くらい。風が吹いて屋根が飛んだとか、たくさん消防車両が出ていますよね。あと津波は5.7年間隔です。津波は若干遅いですけどね。
 これは平成5年1月15日に発生した釧路沖地震、緑ケ岡です。昔の緑陵中学校の東側にあった崖が崩れて3棟ほど倒れました。これは旧釧路市消防本部の望楼です。この上に4.5畳くらいの望楼があったのですが、地震によってそのまま落ちてきました。これは消防長室、消防長がいればたぶん即死でした。夜の時間帯だったので助かった。これは国道44号線、釧路沖地震でもこのような爪痕があったのです。これは釧路末広のサミットビルです。サミットビルの一番上の階から火災が発生、はしご車が出ました。当時は同時火災として9件、釧路で発生しています。鉄道もグニャリと曲がっていろんな爪痕があった。釧路沖地震と道東沖地震は震度6が2回起きています。
 これは、皆さん新聞で見たことがあると思います。今後30年以内に震度6以上の大地震が発生する確率は「釧路市は69%」にあがりました。
 一番高いのは横浜市82%、ところがここを見てください。熊本は2年前に震度7が2回出ていますが赤くなっていません。これはほとんど同じなのです。つまり全国どこでも大きな地震が発生する確率が高い。中でも「この赤い部分は特に高いです」ということです。
 これも最近、新聞で見たと思います。「超巨大地震の発生確率が30年以内に最大40%」。これはマグニチュード9クラスです。この辺の道東沖にマグニチュード9クラスは最大40%発生しますよ。また、マグニチュード8クラス、これは釧路69%で発生する確率が増えています。
 ただ、ここでよく質問されるのです。「こんな大地震が来るが大丈夫なのか」と。これは2018年版に改訂された千島海溝沿いの地震の長期評価を反映したもので、今までと同じく道東沖の海溝や内陸の活断層に変化が生じたわけではなく、今までと同じなのです。新しい知見が加わったことで確率の変化が。どちらにしても大地震発生するのは間違いない。
 津波については東日本大震災の時は2.1mありました。チリ南部の時は2.3mありました。これが東日本大震災。これがチリ南部です。こちらを見てください。1840年くらいに4.5mの津波。この天保14年に4.5mの津波が来ていることが地質学上分かってきました。これは東日本大震災の津波の写真です。たぶん津波がきた時はこういうふうに来たのだろうとシミュレーション画像で作ってみました。ごらんのような先ほどのような写真のような形になるのです。ごらんのような区域が浸水して、各橋も通行止めになりました。現在は関係機関が集まって、こちらから高台に逃げるのは通行可能となっています。全日空ホテルの駐車場まで来ました。入舟町のここも浸水しています。旭アンダーパスもここが全部浸水して満杯になりました。
 必ず津波がくるとこういう堆積物を残して行きます。それが例えば湿原の方にずっと積み重なって。ここは1663年に火山灰の堆積物が来て、これは津波堆積物が来たという形で先生が把握して分かっているわけです。
 いろいろご説明しましたが時間がないので、最後に津波の伝わる早さを見ていただきたいのです。水深5,000mではジェット機並で時速800q。水深500mで時速250q、浅くなってきても100mで110q、陸上に上がってくるとだいたい36〜40q。どんなに速い人でも逃げることができないのですね。
 最後に南三陸町の志津川高校から見た津波の様子。高校生がスマホで津波の様子を撮った画像があります。皆さん方も津波を知っていると思いますが、本当の東日本大震災の恐ろしい津波はこういうものだったということを見ていただいて終わりたいと思います。

"DVD鑑賞"


上空が白くモヤっているのは火災によって煙が上がっているのです。
今、あの辺で津波が来て、ずっとこちらに進んで来ると。
ご覧のように津波はだいたい時速40qくらいで迫ってきますから、あれから逃れるということはまず無理です。
画面中央を見てください。今、避難している方がいるのです。大津波警報はとっくの前に出ているのですが、今、避難し始めている。

(DVD  「ああ、やばい、急いで!」)

"DVD鑑賞終了"


 津波の動画を見ていただきましたが、一目瞭然だと思います。太平洋側は大津波警報が出てから第一波が来るまで30分かかります。その30分の間にどのように避難行動をとるのかが大事ですので、その辺を念頭においていただきたいと思います。
以上で私の講演を終わります。
会長謝辞 脇 弘幸 会長
 「天災は忘れたころにやって来る」という言葉もありますが、近年は忘れる前に台風や地震などの大きな災害がどんどん起こっています。今日の例会をきっかけに防災意識をさらに高めていただいて、また、備えについても今一度見直していただければと思います。 本日は田中講師、貴重なお話を大変ありがとうございました。


閉会・点鐘
その他の報告
ニコニコ献金
お名前(敬称略)内     容
脇  弘幸親睦活動委員会の皆さん、ありがとうございました。ゲームで優勝です。ありがとう!!
脇  弘幸先週の納涼ビアパーティーと出初め式、有難うございました。
杉村 荘平良いスタートを切れました。ありがとうございました。
杉村 荘平今年も日ハムさんありがとうございます。レフトフェンスで大正解です。
浅野 清貴ズルはしていません!!ありがとうございます。
浅野 清貴サイコロ負けて悔しいです。
天方 智順砂かけババアがいる!
市橋 多佳丞ありがとうございます。
伊藤 邦彦おつかれさまです!!
尾越 弘典運を使ってしまった。
工藤 彦夫中島さんのお菓子当たりました。
五明 正吉サイコロに負けた!!
田中 正己当たりました。
中島 徳政景品で自分の商品頂きました。ありがとうございます。
前田 秀幸 
村上 祐二あざーす!!
吉田 英一 
馬場 雅嗣入会して1年が通過しました。今後とも宜しくお願い致します。
横田 英喜今週日曜日に第2子が無事に生まれました。45歳にして子育て奮闘中です。有難うございます。
日理 一哉本日、プログラム委員会担当ですが、都合により出席できません。大変申し訳ございません。防災危機管理課の田中様、宜しくお願い致します。
今年度累計 103,000円