釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3493
2017-2018年度
33回 例会報告
2018年03月08日
例 会 内 容
嵯峨記念奨学生卒業報告会
お客様のご紹介
釧路湖陵高等学校 3年  宮本 夏菜(みやもと かな)様
釧路湖陵高等学校 3年  野 里穂(たかの りほ)様
武修館高等学校  3年  平村 美瑛(ひらむら よしあき)様
保護者様         平村由貴子(ひらむら ゆきこ)様
釧路北陽高等学校 3年  中村 碧(なかむら あおい)様
釧路明輝高等学校 3年  岡本 さくら(おかもと さくら)様
保護者様         岡本 香里(おかもと かおり)様
会長の時間
会長挨拶 邵 龍珍 会長
 昨日、釧路北RCの例会にて、当クラブ 荒井会員が「水の衛生月間」に因んで、地区補助金、グローバル補助金を活用してタイ国、ブータン国で行った浄水器設置等について講話をされたとのこと。大変お疲れ様でした。先週に引き続きスポーツの話をさせて頂きます。明日から18日の10日間に亘って、平昌パラリンピックが開催されます。平昌オリンピック閉会式の翌日、日本中がメダル獲得に沸いていた渦中にパラリンピック選手団の結団式・壮行会が秋篠宮殿下・妃殿下ご臨席のもと、東京都内で開催されました。日本選手団は5競技、38名の選手を派遣するということで、選手団団長が大日方邦子さん。長野パラリンピックで日本人初の金メダルを獲得した女性です。現在46歳で、長野パラリンピックから2010年に引退されるまで、オリンピックで金メダル2個、銀メダル3個、銅メダル5個、計10個のメダルを獲得されたとのこと。大変バイタリティーのある女性だそうです。旗手は村岡桃佳さん。アルペンスキーに出場する選手です。また主将は道東・中標津出身、アイスホッケーの須藤悟さんです。前回ソチオリンピックでは6個のメダルを獲得。その数を上回る為、オリンピック同様最多メダル獲得を狙って頑張って頂きたいと思います。パラリンピックは6競技、80種目で開催されるそうですが、残念ながら車いすカーリングのみ日本選手団は出場出来なかったそうです。少し調べてみたのですが、車いすカーリングは1試合8エンド、選手は4人。その4人を男女混合で編成しなければならないというルールがあるそうです。そしてスイープ、ブラシを使って掃く行為は行わないそうです。ストーンを投げるのも、デリバリースティックという長い棒の先にU字の金具がついているものでストーンを押して投げる方法だそうです。投げる際に車いすが動く為、車いすが動かないようにチームメイトが後ろで車いすを支えることが認められている競技です。
 今回、残念ながら出場叶いませんでしたが、4年後の北京パラリンピックには出場権を獲得して優秀な成績を挙げて欲しいと思います。パラリンピックの競技を見る度、ハンディキャプを抱えていると思わせないような素晴らしいプレーの数々、その精神力、ポジティブな気持ちをひしひしと感じ、何不自由なく生まれ育った我々が見習い、学ぶべきであり日々精進しなければと思います。本日お越し頂きました嵯峨記念育英会卒業生の皆様も、前向きな精神を見習い次のステージで頑張って頂きたいとお願い申し上げて、会長挨拶と致します。
本日のプログラム
嵯峨記念奨学生卒業報告会
ロータリー財団・奨学推進委員会 委員長 天方 智順 会員
 嵯峨記念奨学生卒業報告会の主旨説明を致します。5名の皆さん、卒業おめでとうございます。3年前にもいらっしゃってますので、すごく懐かしい気もしますが、あっという間の3年間だったと思います。3年前の5月にいらした時は、まだあどけない面持ちだった皆さんが18歳になり、立派に卒業されて新しい社会へと旅立たれます。嵯峨記念育英会については、これまでも語られてきましたので、会員の皆様はご存じだろうと思います。
 一番意義深いことは、郷土の若者への支援ということ。奉仕団体であるロータリークラブに欠かせないことのひとつだと思います。これから宮本さん、野さん、平村君、中村さん、岡本さんの順にご挨拶を頂きます。怖い顔のおじさんばかりですが、皆さんを温かく見守りますので、どうか緊張なさらずにお願いします。もう一つお願いです。皆さんはこれから色々な人生を歩まれます。その人生のどこかで「ロータリークラブ」という名前に触れる機会があると思います。それが「釧路ロータリークラブ」ではなく、他の街の「ロータリークラブ」かもしれません。その時にお世話になった団体だと思って下さい。どうか「ロータリークラブ」という、この団体を覚えておいて下さい。
釧路湖陵高等学校 宮本 夏菜 さん
本日はこのような会にお招き頂きありがとうございます。私は先日、釧路湖陵高等学校を卒業することができました。この高校3年間、ロータリークラブさんのご支援を受け、大変充実した日々を送ることが出来ました。特にKCSという理科の発展的な授業では約1年半研究を行ってきました。私たちは漁業が行われる釧路市の水産廃棄物を利用し、地元に貢献する為、釧路で獲れる魚のアラから油を抽出して、その油を使って石けんを作るという研究に取り組みました。この実験では、菜種油から作られた石鹸よりも魚の油から作られた石鹸が洗浄力と保湿力が共に優れているということが明らかになり、石鹸の実用化に向けた効用を証明することが出来ました。そして、昨年8月に神戸で行われたスーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会では、学校を代表してポスター発表を行いました。この経験から客観的な視点が学べただけでなく、人に話を伝える力を養うことが出来ました。また国内だけではなく海外の方々との交流もあり、私にとって刺激的で自らの視野を広げるきっかけとなった貴重な経験をすることが出来ました。更に部活動においては茶道部に所属し、お手前をはじめとする様々な作法を学びました。加えて、昨年5月に行われたチューリップ茶会では市民の方々にお茶とお菓子を提供させて頂きました。ここでは外部の方との交流を通じて大人の振る舞いや礼儀を学ぶことが出来ました。また学業においても先生方の熱心なご指導の下、苦手分野の克服に努め得意分野の力を伸ばすことが出来ました。先月、大学の前期試験を終え現在は合否の発表を控えています。将来は助産師として働き、道内における地域医療に貢献したいと思っています。最終的には釧路に戻ってきて働き、地元に恩返しをしたいと思っています。皆様本当に今までご支援頂きありがとうございました。
釧路湖陵高等学校 野 里穂 さん
皆さん、こんにちは。同じく湖陵高校を卒業した野里穂です。この度は、私をロータリークラブの奨学生として採用し、本日まで支援して頂き本当にありがとうございました。お陰様で3月、無事高校の課程を終え卒業することとなりました。この春からは、横浜市立大学の国際総合科学部で現代社会の都市や地域の問題について学びたいと思っています。また、大学卒業後は地域コーディネーターとして街おこしの仕事に携わりたいと思っています。地域コーディネーターとは「人と人のつながりをデザインする」ことで地域活性の手伝いをする仕事です。私がこの職業を目指す理由は、自分を大きく成長させてくれた地元の浜中町、そして釧路の土地、出会えた周りの人々や環境に感謝し、恩返しをしたいと思ったからです。しかし、地域コーディネーターの具体的な仕事内容はなんでしょうか。それは主に話し合いの場をデザインすることです。話し合いの場とは地域住民が自ら地域活性化の為のプロジェクトを考案する話し合いの場です。専門家が持ち込んだ解決策を専門家に実施してもらっていては、地域住民自ら街をマネジメントする能力を伸ばすことが出来ません。それでは行政に頼りっきりなコミュニティを作り上げることになってしまいます。住民が専門家のアドバイスに従うだけ。あるいは従わされているだけという状態ではコミュニティの衰退、その根本的な問題の解決にはならないのです。よって地域コーディネーターは、自身が地域の魅力や地域住民の人間関係を把握しながら仮説的な街おこしプランを考えつつ、あくまで地域住民が主体となる街おこしを進めていく手伝いをする仕事です。私はこのような街おこしの方法にとても魅力を感じています。街の幸福とはなんでしょうか。人口が増え都会化が進むことでしょうか。経済的に発展することだけが街の幸福といえるでしょうか。私は真の街の幸福とは、地域住民が一体となって、コミュニティを維持しようとする活気がある状態だと思っています。一人一人が地域の魅力を理解し、その地域を愛し、維持しようと努めている。そんな街づくり。それが私の夢です。今はまだ現実的な夢ではありませんが、このような夢を抱ける経験が高校には溢れており、実現に近づける為の学びが進学先にはあります。私の可能性を信じ、これまで支えてくださったこと。そしてこのような素敵な例会に招待して下さったことに改めて感謝致します。 ありがとうございました。名誉あるロータリークラブの奨学生であったことに恥じぬよう、これからも躍進できるように頑張りたいと思います。
釧路武修館高等学校 平村 美瑛 君
卒業と進路についてのご報告。貴会の奨学生として武修館高校をこの度、無事卒業することが出来ました。どうもありがとうございました。高校3年間では学習に励むのみならず、車いすマラソン大会をはじめとする各種行事にも中高一貫の学級として6年間一緒の同級生と共に心を込めて取り組むことが出来たと思います。部活動は茶道部に所属していました。私はお茶会の席では、お茶を点てる亭主と客人との仲立ちをする「半東」という役を担っていましたが、この経験を通して茶道という世界の独特の面白みを感じることが出来たと思います。さて進路についてですが、かねてより志望していました札幌医科大学医学部に進学することが決まりました。北海道の地域医療の貢献を目的とする札幌医大で学び、やがては釧路で医療に貢献したいと考えております。ロータリークラブの皆様をはじめ、故郷釧路市で大勢の方に応援され送り出して頂けることは、私にとってこの上なく心強いものであります。感謝の心を忘れずに、これからも学問に邁進したいと思っております。 本日はこのような機会を設けて頂き、誠にありがとうございました。
釧路北陽高等学校 中村 碧 さん
この度は奨学生に選考して下さり、またお招き頂きありがとうございました。私は将来看護師になりたいという目標があり、高校3年間徐々に成績を向上させ無事に第1志望校に合格することが出来ました。次は看護学校での勉強を着実に行い、国家試験に合格することが目標なので、努力を惜しまず何事にも挑戦していきたいと思います。また校での部活動は陸上競技部に所属しており、未経験で新しい挑戦でしたがもっと上達したい、負けたくないという気持ちで毎日練習に励みました。なかなか成果が出ずに悔しい思いもしましたが、仲間の応援や励ましのおかげで自分の目標に向き直し、釧路地区大会では3000mを優勝し、全道大会では自己ベストも出すことができ、勉強でも部活でも諦めず挑戦していく力強さや精神力を培うことが出来ました。高校3年間で、私は実行力や行動が出来るようになったと感じます。また、仲間や友人の大切さにも気付くことが出来ました。私はとても意義のある3年間になったと思います。培ったことや大切なものを失わず、そして周囲への感謝の気持ちも忘れずに、進学先でも有意義な時間を過ごしたいと思います。この度は、今までご支援いただきありがとうございました。
釧路明輝高等学校 岡本 さくら さん
皆さん、こんにちは。私は3月1日をもって無事に釧路明輝高等学校を卒業することが出来ました。3年前、私はここで勉強と部活動の両立に力を入れる。様々なことに果敢に挑戦したい。部活動ではチームに貢献できるプレーヤーになりたいと言っていました。学校生活の中ではクラスの学級委員長となり、中心となって行事を進めていました。また部活動ではバレーボール部の主将として、チームの司令塔であるセッターとして先頭に立ちチームをまとめていました。主将を務めることで責任感の大切さを強く感じました。バレーボール部は団体競技なので、チームメイト同士で意見がぶつかり、投げ出したくなることもありました。しかし、勝ちたいという同志の仲間であるからこそ私は最後までやり遂げることが出来ました。3年間、仲間と共に過ごした時間の中で協調性を学び、チームワークや絆を築けたと思います。個人的には小学校、中学校、高校の主将を務めることも達成出来ました。そして進路は、釧路信用金庫に就職することが決定しました。内定が決まるまでには、沢山の方々にお世話になりました。先生、両親、同じクラスの仲間、勿論内定先の関係者の方々がいるからこそ今の私があると思います。就職後は企業から必要とされ努力を惜しまない。そんな社会人になりたいと考えています。また、明輝高校の卒業生として校訓であった『輝ける挑戦者たれ』この言葉を胸にこれからも挑戦し続け、今まで育ててもらった両親へ恩返ししていきたいです。最後にロータリークラブ様の奨学生に選考して頂き、3年間本当にありがとうございました。
公益財団法人 嵯峨記念育英会 理事長 吉田 潤司 会員
卒業生の皆さんおめでとうございます。3年前に私もお会いしましたが、まだまだその時はあどけなさ、今とは違う初々しさがありましたが、3年間、勉強、スポーツ、友人関係等を通じて色々な経験を積むとこんなに成長するんだと思い嬉しさもいっぱいです。これからも夢を掴めるよう頑張って頂きたいと思います。人間の持って生まれた能力、才能には基本的には殆ど差がないと言われています。差がつくのは努力の差だそうです。最後の方がお話になりました通り、進学、就職に関わらず「努力をする」ということを忘れないで下さい。少し時間がありますので、簡単に育英会のことについてお話致します。昭和35年に「釧路の漁業の父」と言われた嵯峨久さんがお亡くなりになりました。当時釧路市の船は、風で動く船ばかりで事故やトラブルが非常に多く、嵯峨久さんが率先して動力船の導入に尽力され、その後「嵯峨岸壁」という岸壁を釧路で最初に造られました。若い頃の嵯峨久さんは大変苦学をされて業界で大成功した方で、いつも「若い人に何か援助できないか」という夢をお持ちだったそうです。その夢を実現することなく残念ながらお亡くなりになりました。その意志を継がれたのが嵯峨晃さん。釧路経済界のプリンスと言われた素晴らしい方だったのですが、この方がその意志を引継ぎ「嵯峨記念育英会」を設立しました。昭和35年当時はインターネットもなければ、本屋さんも殆どない時代。電話を掛けるにしても必ず交換を通じて何時間も待って通じる時代。その中での育英会設立は大変な努力を要したと思います。育英会設立年度が昭和36年。釧路経済界で大活躍されておった嵯峨晃さんにとっては、育英会事業継続そのものも大変だったと聞いております。設立から10年程経過した頃、嵯峨晃さんが東京で急死されます。その時、育英会理事のお一人であった釧路RC泉敬さんがその後の育英会を継承されましたが、当時は20代の新進気鋭の弁護士で、釧路に弁護士も少なく業務多忙の中、大変ご苦労されたそうです。その後紆余曲折を経て、昭和50年、釧路RC50周年の際に当クラブへ移管、今日に至ります。本年まで約170名の奨学生を支援して参りました。最後に、嵯峨晃さんが育英会を設立した時の言葉を皆さんにお伝えします。是非心に留めて下さい。 『「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう。」 これは後藤新平の言葉ですが、自立、独立の志がある人、この人こそが我々の友人である。後藤新平の言葉にあるような人が現在くらい必要な時代はないように思われる。このように若い人たちを発掘して、我々もささやかであるが心を込めた贈り物を是非贈りたい。これが我々の念願とします」』と語っています。人のお世話にならないように。人のお世話をするように。そしてお世話をすることの報いを求めないように。こういう人になってもらいたいという嵯峨晃さん、嵯峨久さんの意志を胸にこれからも頑張って頂きたいと思います。本日は本当におめでとうございます。
記念品贈呈・記念撮影
会長謝辞 邵 龍珍 会長
5名の皆さん、卒業のご挨拶本当にありがとうございます。助産師さん、看護師さん、お医者さん、地域コーディネーター、そして地元企業の釧路信金さんとそれぞれが夢に向かって進学、就職されると伺った中、何が一番嬉しかったかというと「最終的には地元に戻って仕事で貢献したい」という言葉を聞いた時です。本当に嵯峨記念育英会をやって良かったとおじさんたちは思ったと感じます。釧路市も人口が減少している中、去る人が多いが、戻ってくる人は少ない現状で、こうゆう意気込みで頑張ってくれる人たちを3年間支援来たことは我々の誇りです。ロータリーでは、米山奨学会というグローバルな奨学会がありますが、クラブが独自で運営する奨学会を有しているのは釧路RCだけです。この貴重な奨学会の支援を誇りに感じて今後我々も頑張っていきますので、皆さんもどんな壁にぶつかっても前に向かって一歩一歩乗り越えて下さい。


閉会・点鐘
その他の報告
ニコニコ献金
お名前(敬称略)内     容
邵 龍珍嵯峨記念奨学生の皆様、御卒業、誠におめでとうございます!今後のご活躍を期待いたします。
吉田 潤司初孫誕生!!
今年度累計 677,500円