釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3465
2017-2018年度
05回 例会報告
2017年08月03日
例 会 内 容
ガバナー公式訪問例会
ご来訪ロータリアンご紹介
国際ロータリー第2500地区 ガバナー 成P 則之 君

国際ロータリー第2500地区 地区副幹事 近藤 昌義 君

国際ロータリー第2500地区 地区副幹事 池田 真哲 君

国際ロータリー第2500地区 第7分区ガバナー補佐 漆崎 隆 君

国際ロータリー第2500地区 ガバナー補佐幹事 渡辺 雅樹 君

国際ロータリー第2630地区 岐阜城ロータリークラブ 岐阜Bグループ
2000〜2001年度 ガバナー補佐 澤田 善吉 君

国際ロータリー第2630地区 岐阜Bグループ 岐阜城ロータリークラブ
直前会長 杉山 昌治 君

国際ロータリー第2630地区 岐阜Bグループ 岐阜城ロータリークラブ
会長 江口 広康 君
新入会員ご紹介
浅野 洋 会員
 新入会員のご紹介を申し上げます。馬場雅嗣君。北海道電力釧路支店支店長でございます。単身赴任ということでございますので、皆さま楽しくやっていただければと思います。
 ご家族は、奥様とお嬢様がお二人ですが、既にお二人は社会人ということです。ご本人の誕生日ですが、昭和35年3月26日生まれ、57歳でございます。趣味の方は、昔はゴルフをやられていたそうですが、今は少し腰を悪くしたことで、今はやられていないということです。麻雀の方はやられるということで、ぜひお誘いいただいて交流を深めていただきたい。お酒の方は、がっちり飲めるということでございます。皆さまよろしくどうぞお願いいたします。
北海道電力株式会社釧路支店長 馬場 雅嗣 会員
 いまご紹介いただきました北海道電力の馬場と申します。よろしくお願いしたいと思います。
 歴史と伝統のある釧路ロータリークラブに入会をご承認いただきまして誠にありがとうございます。私は6月29日付けの異動でご当地に参りました。前職は、札幌にございます北海道経済連合会、道経連といっておりますけれども、こちらで4年3か月ほど勤務をしておりまして、この度、出向解除ということで北海道電力へ戻って参りました。
 現場の仕事は久しぶりなところもありまして、またご当地の釧路に関しましては、生活、それから勤務も初めてということでございますので、まずは、街を知って、人を知って、仕事を一生懸命やっていきたいと思っております。このような交流の場が非常に有効な大切な場と思っておりますので、ぜひ皆さん、よろしくお願い致します。
成Pガバナーより新入会員へネームプレート・バッジを贈呈
新入会員へ歓迎挨拶 邵 龍珍 会長
 馬場会員、本日のご入会おめでとうございます。また、ありがとうございます。
ガバナー公式訪問で入会をされることは、過去数名いらっしゃったそうですけれども、本日は記念すべき入会日となりました。ガバナーにもお許しをいただきネームプレートとバッジを直接授与してもらったことは名誉ある光栄なことだと思います。今後素晴らしいロータリアンになっていただきたいと思います。その為にも例会への出席、会員との交流を通じて友情を深めていただきたいと思います。所属委員会は、親睦活動委員会です
会長の時間
会長挨拶 邵 龍珍 会長
 成Pガバナー、ようこそ釧路ロータリークラブへ。本日、ガバナーは中標津RCの公式訪問を終えて直接釧路へ入り休むことなく、先程16時から会長・幹事懇談会、16時30分からクラブ協議会においてご講評を賜りました。大変お疲れのところとは存じますが、この後、当クラブの会員の為にご講話をお願い致します。成Pガバナーは今週月曜日、釧路西RCの公式訪問から、明日音別RC、白糠RCとダブルヘッターの公式訪問です。それを終えて1か月後に釧路南RCへの訪問だそうです。当クラブの本日の公式訪問で33回、明日の2クラブが終わるとちょうど折り返しというところで、どうかこの後の地区内の公式訪問が無事に、また成功裏に終えることをご祈念申し上げまして、本日の会長挨拶に代えさせていただきます。
本日のプログラム
ガバナー公式訪問例会
国際ロータリー第2500地区 成P 則之 ガバナー
 改めまして、こんばんは。本日は、岐阜から来訪のロータリアンが見えておられます。
私も元々をいえば愛知県出身なものですから、そのお話からさせて頂きます。
 私は、1953年5月3日生まれ。なぜかナンバープレートが53-53という、うちのクラブのメンバーはゴミゴミと呼んでいますが、53年5月3日生まれです。現在、網走で定置漁業と帆立桁引き漁業を営んでいます。どこかに書いてありましたが、成PのPという字の右側がページ(頁)ではなく「刀」に「貝」という字です。本日は、きっちり、釧路クラブの方には書いて頂きました。『成P一族』というものがございます。国宝である犬山城が拠点になっています。いまは、公益財団法人犬山城白帝文庫ということで、叔母が理事長を務めております。成Pの代は、遡って行きますと徳川家の最初に先陣を開く武将、血の気の多いところだったみたいです。成P隼人正という方がいます。この方84歳か85歳でお亡くなりになるまで刀傷ひとつなく敵の首を相当上げた方ですが、生涯刀傷を受けなかったというバケモノみたいな人であります。酒が強く酒豪だったそうです。その部分だけは私は受け継いでいるような気が致します。国宝なので手を加えるわけには参りません。階段も非常に急なところですが良い所であります。犬山城をぜひ一度ご覧になって頂きたい。岐阜の方がいらっしゃっているので、少し近しく感じさせられましたので、少しだけ私の話をさせて頂きました。なぜ北海道へ来たか多くは語りません。流れて来たのだと思っています。 先程、幹事の方から地区大会のご案内がありました。地区大会について少しだけPRをさせて頂きます。今回、特別記念講演として、佐賀県有田町の15代酒井田柿右衛門さんをお呼び致しました。本来であれば、14代のお父様に来ていただきたかったのですが、お父様はご存じのように他界されましたので15代に来ていただくことになりました。14代のお父様、13代のお爺様、共に人間国宝であるという柿右衛門窯445年を引き継いだ15代は、ただいま49歳であります。
 酒井田家には一つだけ当主で必ずやらなければならないことがあるのだそうです。あそこは、白磁器のところに朱色を入れることが伝統美なのですが、当主になると必ず1つ、その朱色に自分の色を加えることが代々伝えられている流儀だそうです。非常にいま苦悩されています。49歳で15代になったばかりであります。パリでの博覧会、そして札幌三越での個展を終えて、生まれて初めて講演をする場が網走ということで非常に緊張をされています。先日お電話をいただきました。「何を喋れば良いかよく分からないのですけれども、柿右衛門窯450年の歴史、それと伝統美をお話しさせていただきます」というお答えをいただきました。
 もう一つだけ、彼に頼んだことがございます。柿右衛門窯は、総勢90名の人がそこで働いていらっしゃいます。絵師がいます。ろくろを回す方がいます。そして当然薪をくべる方もいらっしゃいます。これが何代も続いて柿右衛門窯で従事している方。彼は経営者であります。トップであります。「ぜひ、貴方の経営哲学を皆さんの前でお話しいただきたい。我々は、ロータリアンとして全員が経営者であります。その中で貴方が持っている経営哲学を1つだけお話し願いたい」と言うと、「全くもって今そのようなことを考えている余裕はございません。次のニューヨークの博覧会まで何とか朱色を作っていかなければならないので、それだけはご勘弁」という中で、「5分でも良いからお話しをしていただきたい」ということで90分間のお話しをさせていただくことになりました。元々はカメラマン志望だったそうです。非常に上手なカメラワークで写真をお撮りになる。暇があるとお子さんを連れてカメラを持って山を歩くことが趣味だと聞いております。網走へ来たときに、柿右衛門窯の美しい伝統美とともに49歳の苦悩が深い、一生懸命悩んでいるその姿を見ていただければと思っています。
「蛇足ですが、父の作品と私の作品を網走に持って行きたい」と。「それだけは勘弁して下さい」と申し上げました。日通がこの美術品・芸術品を運びますが、10日間ほどで、およそ○百万円から○千万円位かかるということで、とてもその保険料を払う訳には参りませんので、それはご勘弁をいただきたいということで映像を持って来ていただけることになりました。ぜひご覧になっていただきたいと思います。14代、最後のお仕事が九州を一周します列車『ななつ星』の中で洗面器を作っているのがお父様であります。そこに金魚を描いたのが15代であります。その美しい伝統美、それを十分堪能していただければ幸いと思っております。少しPRをさせていただきました。
 今回、67クラブ全てこれからお話しをするお話しをしていこうと考えています。私は、活動計画書の最初に「ポリオに終止符を」と書かせていただきました。邵会長もポリオを強く書かれています。私自身それに強く関心を持っていた訳でもありません。RIの方から何かを言われた訳でもありませんが、自分のためになると思ってホームページをたくさん見ました。100数十クラブになると思います。その中で、東京麹町ロータリークラブ。ここの回顧録というところに非常に胸を打たれた思いがありますので、これから少しだけ皆さんにお付き合いをいただき、この話をさせていただきたいと思います。
 少々古い話ですが、1982年から始まるお話にお付き合いをいただきたいと思います。1982年、東京麹町ロータリークラブの山田彝会員という方と、ドクターであります峰英二会員というお二人の会員がいらっしゃいます。この2人、当時3Hプログラムということで、南インド・マドラスで、はしかの予防撲滅のためのボランティアとして4週間インドに滞在することになりました。お二人はインドで昼間、一生懸命そのはしかのために勢力的にいろいろな活動をされます。日が沈むころ、周りから「ガサゴソ」という音が少しずつ聞えて参ります。「何なのだろう」とお二人、多分カーテンを開けたかテントの窓などを開けたと思いますが、お二人は顔を見合わせて絶句をされます。当時、インドはポリオが大流行しておりました。もう凄まじい勢いで蔓延をしておりました。先ほどの「ガサゴソ」という音は、幼児が、足が動かないので肘を使って前に進む音、その音だったのであります。そのような子があちらこちらで音を立てて動いている姿、それを見たときに胸が締めつけられる思いがした。2人はショックのあまり、しばらくその光景から目を離すことができなかった。と手記に書かれています。4週間のボランティアを終了してお二人は帰国されます。
 次の年1983年、東京麹町ロータリークラブが15周年を迎えます。この記念事業で会長及び理事会に強くこのお二人が示唆をして「何とかポリオワクチンを集めていただきたい。私達はそれを持ってインドの子供たちを助けに参りたい」と強く申しました。東京麹町ロータリークラブは了解をしたそうです。私は、ポリオワクチンがどこで売っているのか、お幾らくらいするのか存じあげませんが、相当高額だと思います。東京麹町ロータリークラブは5,000人分のポリオワクチンを購入したそうです。それを持ってお二人がまた南インド・マドラスへ参ります。当時は、マドラスロータリークラブの方が支援をされていました。1ヶ月間ほとんど不眠不休、24時間体制でお二人は子供たちにワクチンを経口服用させます。起きているのか、寝ているのか、生きているのか、死んでいるのかよく分からないけれども、手だけが、腕だけが子供たちを助けたい一心で動いた。と手記には書いてあります。1か月間その生活が続きました。帰りの飛行機の中でぐったりと死んだようになっているお二人を多くの乗客の方が見ていたそうです。
 帰って来たとき、麹町ロータリークラブは、RIにその報告をされます。RIがとった措置。その当時、世界社会奉仕事業が各国で数百行われていたそうです。私はその辺の事情はよく分かりません。いろいろなプロジェクトが行われていたそうです。その中で、このインドでのポリオ撲滅、このことが優先順位一番ということで認定をされたそうです。
 その後、RIは、もうひとつ、このことに関して、当時では異例の決定をされました。1986年7月1日〜1991年6月30日までの向こう5年間に亘って募金キャンペーンを始めました。ポリオ撲滅と5つの伝染病、例えば、百日咳・はしか・ジフテリアなどを全て地球上から無くすということが目的で募金キャンペーンをされました。「総額、世界中で1億2,000万ドルを5年間かけて集めたい」という指示がRIの理事会でされたそうです。
 私は、網走ロータリークラブ、2代目のガバナーであります。初代のガバナーは、1987年〜88年の秋永智徳という方であります。ちょうどこの方がすっぽりこのキャンペーンの間に挟まっています。ご本人から直接お聞きした訳ではありませんので、RIの方なのかどうかは分かりませんが、相当な締めつけ「これだけ集めてくれ」という凄いお達しが出ていたそうです。結果、日本国内では、48億9,000万円という浄財が集められました。世界中ではどうかと言いますと、1億2,000万ドルのRIの募金額に対して2億1,700万ドルという浄財が集められました。当時としてはもの凄い額だったと私は思います。
 本日、中標津ロータリークラブへ行ったときに、笹谷さんにお聞きしましたが、いまポリオ常在国は2ヵ国。1980年代このポリオ常在国がどの程度あったかご承知でしょうか。1980年代は125ヵ国ございました。毎年毎年35万人の子供たちがポリオに苦しめられていました。犠牲になっていました。インドでの彼らの手記の中にこのような一節があります。「ポリオで子供たちを救えない母親がいた。日本でいう姥捨て山。子供を捨てなければならない母親、それを泣く泣く背負ってどこかへやっている父親がいた。」そうです。ポリオは治らないと当時は思われていたみたいです。ただ日本人がポリオに対し経口ワクチンを持って行ったので、少しだけ子供たちがポリオに罹らなくて済みましたが、当時は、いろいろな国でポリオが蔓延しておりました。お話しは1988年に少し戻させていただきます。1988年東京麹町ロータリークラブは、栄えある20周年を迎えます。その栄えある会長職に就いたのがこの山田彝会員であります。ところが、急死されます。同行したドクターの峰英二会員も後を追うように他界されました。回顧録の最後の行にこのような一文がございます。「志半ばにしてインドでの風土病が元でお亡くなりになられたお二人、まさしく壮絶な戦死のようなものである」そのようにしてこの回顧録はとじています。
ぜひ、東京麹町ロータリークラブのこの回顧録にアクセスしてみて下さい。私はそれを涙なくして読めませんでした。いま、言っているときには、それほどそのような感情はありませんが、それを最初に目にしたときに、非常に胸が熱くなる思いがいたしました。
RIはいま、いろいろなことを行っております。いまだにポリオに関してはいろいろなことを行っています。ただRIに先駆けて、まずポリオから子供たちを救いたい、という情熱を持った日本人がお二人いた。この事実だけは、これから私達が残して行かなければならない。この意志だけは私達が継ぐべきである。こんな日本人がいたことを忘れてはいけない。きちんと次の世代に伝えたいと思いまして今回、「ポリオに終止符を」と最初に書かせていただきました。多分、私達がいまできることは浄財を集めることくらいしかないと思います。ただ、そのときに世界中の子供たち、幼児・乳児、この子達にポリオという恐怖を絶対に与えてはいけないという気持ちを持って寄付を推進したいと私は思いました。
財団委員会の後押しになったかどうかは分かりませんが、この思いだけは持って、私は1年間この話をさせていただきます。どうぞ財団委員会の方、このようなお話しがあって、皆さん東京麹町ロータリークラブにアクセスしていただき、その思いだけは汲み取って寄付をしていただきたいと思っています。
 小船井さんがここにいらっしゃる。それと清水先生がここにいらっしゃる。私、先ほども申しましたが、小船井さんはGETSのときの先生であります。ガバナーエレクト・トレーニング・セミナーが東京で2回開催されて、その厳しい先生であります。そして、できの悪い生徒でありました。先生の前でこのようなお話しをするのは非常にやりにくい。先ほどなぜ、クラブ協議会にこの方がいるのだろうと不思議に思っていました。昨日は、釧路北ロータリークラブのときに、RIの研修リーダーであります足立先生が目の前にいらっしゃいました。釧路には先生がたくさんいらっしゃいます。私、先生の前でこのようなお話しをするのは非常にやりにくいのです。正直言って欠席をしていただいた方がよほどすんなりとお話しができたと思っています。
もう一つだけ少しお話しをさせていただきます。世界と日本との違いというお話しをさせていただきます。これは世界のすう勢と言った方がよいのかもしれませんが。
ガバナーエレクトになると国際協議会に出る出席義務があります。配偶者も同じ義務を持っています。2人とも、5日間・6日間、同じようなところで同じカリキュラムを1日8時間から9時間、そのような勉強をさせられます。その中で、イアン・ライズリーさん、当時はRIの会長エレクトでありました。この方が登壇されて講演をされました。「奉仕の理念」を非常に詳しく簡便にご説明をいただきました。その中で、彼は「超我の奉仕」という言葉を何回かお使いになりました。日本人としては、何か少し嬉しくなりました。「オーストラリア人、なかなかやるな、俺たちのRI会長はたいしたものだよね」と、日本から行った34人のガバナーエレクト全員で祝杯を挙げさせていただきました。
ところが、これが翌日一変いたします。翌日に登壇されました方が、ロータリー財団のトップでありますロータリー財団管理委員長という職に就かれますポール・ネツェルという方でありました。ロータリー財団の管理委員長ポストは、小船井さんや清水先生はよくご存じだと思いますが、RIの会長職を終えた後にやられるポストで、今回は田中作次さんの番だったそうです。ただ田中作次さんは、なぜか役職に就くことを固辞されまして、「一切役職には就きません」ということで、このポール・ネツェルという方が就いたそうです。この方が登壇します。様相が一変いたします。
この方は一度も「ロータリアン」というお言葉をお使いになりませんでした。いま、世界中には35,000位のクラブがあり、120万人の我々同胞ロータリアンがいます。この我々のことをどのように言ったかというと「120万人の慈善家のネットワーク」とご紹介をされました。続いて、「この慈善団体のナビゲーターを行っているところが9年連続ロータリー財団を4つ星の最高ランクにつけた」と仰っていました。最後に「認識向上とは、達成したことを堂々と自慢すること」として、このお話しを閉じました。
これには、少々びっくり仰天いたしました。私ども、そんなに堂々と自慢をするような話なのかな。日本人は、まず理論から入ると思います。実践よりもまずその理論から入って、奉仕の理念をずっと培って来て、それを実践に移す。それにたけた民族だと私は思っています。
 それともう一つ。日本人には隠匿の美学という独特の美意識がございます。だから、子供のころから「自慢をすることは恥だ」と教わって参りました。ロータリアンも皆同じだと思います。隠匿の美学、自分のことを包んで隠してあまり表に出さないことが良し、とされていました。その言葉と全く裏腹なことが、財団トップの委員長の口から出て参りました。でも、よく考えてみて下さい。財団のトップ、いまやRIが財団に何か隠されているような、ハッキリは申しませんが、そのように思っているところのその財団のトップが仰っていること。これが世界のすう勢であると私は感じました。少し危機感を覚えながらその話を聞いていました。
日本へ帰って来たガバナーエレクト34人。みんなが考えた共通の項目というものをこれからお話しして私の卓話を終らせていただきたいと思います。伊達や酔狂でこのようなバッジをつけている訳じゃない。ステータスではない、このバッジは俺達の誇りだろうと心を同じく致しました。全員がそのような思いを共通項としてこれから公式訪問例会に行くときに世界はどうであれ、われわれは誇りを持って活動させて頂きますと。今後の会議等において、納得できかねるものもあるかも知れない。全て賛成票を投じることはできないと私は強く思っています。そのような思いをこれから皆さんにお伝えし、我々がどうしなければならないのかを一緒に考えて、双方向でものを考えられるようなそんなガバナーでいたい、信念だけは曲げない、それだけは自信があります。ご静聴ありがとうございました。
会長謝辞 邵 龍珍 会長
ガバナーは地区協議会第一分科会において、今年度はRI会長賞に挑戦していただきたい」と何度も何度もしつこいくらいお話しをされていました。「大きいクラブ小さいクラブ関係なく、できる・できないは関係ない。チャレンジをする、この第一歩を踏み出すことが大事だ」ということを繰り返しお話しされておりました。この「RI会長賞」を取るために3つのハードルがあります。1つは、RIの請求に対して支払いの遅延を無くす。2つ目は、各ボランティアに対しての費やした時間。そして奉仕事業に対しての報告をロータリーセントラル、要は紙媒体ではなくネットで報告しろということです。ですから皆さんに「My Rotary」へ登録をしていただきたいと重ねてお願い申し上げます。3つ目が一番大事で重要ですけれども、現在のロータリーで定めた重点項目が3つあるのですけれど、凄い数の課題があります。その内の1項目4つをクリアしなければいけない。ということは、12個をクリアして初めてRI会長賞にチャレンジする、申し込みが出来るということです。
ガバナーへ、今年度私の活動目標はこの3つの重点項目から考えて実行しようと思っていますので、おのずと我々が今年度の理事の皆さんと当クラブの皆さんと誠心誠意活動することによって、RI会長賞はついて来ると思っております。それでは、ここで有言実行、我々のクラブは今年度「RI会長賞を取ります」という私の決意を謝辞に代えさせていただきます。そのためには、皆さんのご協力がなくては一歩も前へ進めませんので何卒よろしくお願いいたします。
【ガバナーを交えての懇親会】
中締めのご挨拶
小船井 修一 パストガバナー
 皆さん、ご苦労様でございました。どうもありがとうございます。岐阜から遠くありがとうございます。本当に寒い釧路に長期滞在ありがとうございます。その意味でいくと、釧路は日本の中で、網走もそうですけれども「夏場、涼しい所で長期滞在」としてわれわれとしては売り出しています。よろしくお願い申し上げます。
 さて、ガバナー、本日はありがとうございました。先ほど「緊張していた」というのは私のせいではないですよね。申し訳ありません。
皆さん、お分かりいただけるか分かりませんがGETSというのがあります。ガバナーエレクト・トレーニング・セミナーが東京で2回、ガバナーになる方は必ず受けなければいけません。私はガバナーエレクト・トレーニング・セミナーの研修リーダーとして、研修を行う立場で4回行っています。最後に、チーム研修リーダーがGETSの責任者で、成Pガバナーに教えているといったらおこがましいですけれどご一緒させていただいた経過があります。そう意味でご理解いただけると幸いです。
本日は、親睦委員長、ありがとうございました。成瀬ガバナーを褒めることで我々釧路クラブを印象深く、成Pガバナーにはこの公式訪問をご記憶いただいたと私は思います。
それはなぜかというならば、吉田ノミニーがいじめられないように。成Pガバナー、いじめないでください。これからは、成Pガバナーとともに、吉田ノミニーは歳ですが、すくすくとガバナーになっていくことに手助けいただくことをお願い申し上げながら、これからの公式訪問が無事終えること、そして地区大会には多くメンバーで参加させて頂きます。
網走の地区大会が成功することをご祈念申し上げながら。一発で締めます。


【閉会】
その他の報告
ニコニコ献金
お名前(敬称略)内     容
成P則之ガバナー寸志
今年度累計 121,000円