2006〜2007年度 第43回(通算2980回) 例会報告
作成日:2007.6.04
会長 青田 敏治   幹事 西村 智久   広報・会報委員長  木下 正明

会長の時間
会長 青田 敏治
 食事の方は続けて結構です。今日、本当は朝から天気のはずだったのですけれども、気象庁もかなり正確に長期予報を出す様になりましたが、今日はちょっと外れました。外れたと言えば先週の土曜日、私のわがままを聞いて頂きまして2回目の夜遊会をしまして、これは千代ノ浦の海側、屋根が掛かっていまして雨が降っても大丈夫な様にあの場所に決めたという事で、天気予報通りということでしたけれども、お陰様で梁瀬、白崎、両大ベテランもご夫婦で来ていただきまして、本当に最後まで一緒にいて頂きましてありがとうございました。もうすごい雨でしたから、ビックリしましたけれども、雨が降ったのでどこにも行けず、そこだけで飲んだという、かえって良かったのではないかと思いますけれども、その様な事でなかなか予測しない事態が急に起きたという事で、先々週は私、話ししましたけれども、本当に花見なども続けてあるかと思いますけれども、本当にお酒を飲んで運転をしない様に、これだけは皆さん会社にお帰りなって従業員の方にも徹底して言って頂きたいと思います。もちろん会員の皆さんはその様な事をする人はいないと思いますけれども、くれぐれもお気を付け下さい。それと先程のご案内で今のガバナー補佐ですけれども、昔は分区代理と言いまして、最後の分区代理をしておられまして、その次の年からガバナー補佐という様に名前が変わったという、今日はこの後たっぷりと時間を取ってありますので、どうかよろしくお願いを致します。
会長の時間
1.ガバナー月信 No.12 到着
2.北ローターアクトクラブ活動計画と例会案内到着
会長の時間
釧路まりも学園 園児の自立支援について
就職奉仕委員会
副委員長 安藤 正冶
 本日の講話は職業奉仕委員会の担当という事で、私の方からご紹介致します。本日お話しを頂くのは釧路まりも学園理事長の松原久幸さんでございます。釧路まりも学園は設立が昭和30年代という事でございますけれども、釧路、根室管内唯一の児童養護施設という事で、家庭に恵まれない児童の受け皿となってきた訳でございますけれども、定員が80人という事ですけれども、常に定員が一杯という様な情況だそうです。こうした中で松原さんは昭和56年からこのまりも学園に係わられまして、理事長になって11年という事でございます。このまりも学園の園児、自立支援の為に後援会というのが去年再構築されたという事で、今回は松原さんに我々がどの様に支援出来るのかも含めて、園児の自立支援についてという事でお話しを頂こうと思っております。松原さんさん、よろしくお願いします。

社会福祉法人 釧路まりも学園
理事長 松原 久幸 氏
 皆さんこんにちは。只今ご紹介を頂きました釧路まりも学園の理事長をしております松原でございます。私も北クラブのメンバーでございまして、皆さんと同じロータリアンの仲間でございますので、今日はあまり肩を凝らずに気楽にお聞き頂きたいと思います。
 只今ご紹介がありました様にまりも学園は昭和31年の7月に開園を致しました。当時の入園児は8名でございまして、職員が9名、この様な中での開園になりました。昭和31年と言いますと戦後約11年を経過して、世の中も大分落ち着いては来たのですけれども、戦争の後遺症は10年くらいでは消えません。釧路にいわゆる不遇児、恵まれない子供の事です。この様な子供達がたくさんいまして、養護施設が無いものですから皆札幌を中心に、当時北海道では札幌を中心に17ヶ所の児童養護施設がありました。そちらの開いているところにどんどん送り込んでいくという事で、しかしその送り込んでいく事だけではもう間に合わなく、その様な情況が出て参りました。その様な不遇児がどんどん出てきまして、やはり釧根地方に児童養護施設を作らなくてはならないという事で、当時北大通で旅館を経営しておりました岩下良次さん、それから緑が岡に土地を持っておられました佐々木正雄さんが土地を提供するからここに建てようではなかという事で市内の有志を募って誘致運動を展開しました。幸いにしまして31年に当時70坪くらいの小さな木造住宅ですけれども建築が終わりまして園児を迎える事が出来たというのが児童養護施設まりも学園の発端でございます。この釧路クラブには私の目の前に清水先生もいらっしゃいますし、泉先生も今は退園されましたけれども20年間幹事を務めて頂いたという、非常にまりも学園にご縁が深い大先輩がいらっしゃいますので、私も今日は緊張しておりますけれども、この様な児童養護施設というのは市民の皆さんのご支援が無ければ運営が出来ないという組織でございまして、措置費は国、道、市とそこから全部来るのでございますけれども、措置の費用は年少、年によってみな違うのです。一番小さい、今は0歳から入っておりますけれども、開園当時は1歳半から入園するというシステムでございました。しかしこの地方には乳児院というのが無いのです。北海道にも乳児院というのは2ヶ所しか無いのですけれども、最近は生まれたばかりの子供を養育放棄をして子供が路頭に迷うという情況が出て参りまして、昨年の4月から0歳から入園するというシステムに変わりました。今うちの学園にも0歳の子がおります。小さい子がどんどん増えて来ております。何故この様な事になるのか理由は色々あるのですけれども、1つにはやはりこの釧路、釧根地方の社会状況が非常に悪いという情況がやはりあります。しかも入ってくる子供の措置の事由、措置の理由ですが、これがやはり圧倒的に親が子供をいじめる、虐待が圧倒的に多い訳です。約6割は虐待で入ってくるという時代、昨年は7割をちょっと越えました。そのくらい子供に対する虐待が多いのです。その他養育不適と言いますか、殆ど母子世帯が多いのですけれども、母親がパチンコにうつつを抜かして子供の面倒を見ないという人、それからまったく子供を養育しない、養育放棄と言いますかこの様な人達が大分増えて参りまして、私がまりも学園に関わりを持ってから23年になりますか、当時はその様な子供を虐待するとか、その様な子供は割に少なかったのです。事情で片親になってどうしても子供を育てられないという子供達が入って参りまして、現在は殆ど両親は健在です。離別して別れてはいますけれども、父親も母親も健在です。その様な子供達が入ってきております。どうしてこの様な事になるのか、私もよくわかりませんけれども、今定員80人のうち殆ど満杯状態で、1人が引き取りたいという事で卒園して出ていくという事になりますと、次が代わりにすぐ入ってくるという情況がここ数年ずっと続いております。定員80人がそれでまかない切れなくて、国も奨励しております家庭的な雰囲気を味合わせる為に小規模の児童養護施設というものを開設致しました。昨年の6月にうちのまりも学園も開園して、そちらの方に6名行っておりまして現在定員86名ですけれども、この86名が定員満杯という情況が続いております。ある時伊東市長にお会いしたらこの様な情況でしたらもう1つ施設を作らなくてはならないのではないかというお話しを、冗談も交えながら話しをした事があるのですけれども、いくら作ってもどんどん増えたらやはり満杯状態になる、それよりはその様な親を出さない様な方法を考えなくてはならないのではないですかという事を私は申し上げた事があるのですけれども、その様な情況が今ずっと続いている訳です。昨年私は娘が山口にいるものですから山口に行って、山口の隣に防府市という「ぼうふ」と書くのですけれども「ほうふ」と読むのですが、そこに同じ児童養護施設があるのですけれども、そこへ行く機会がありまして様子をお聞きして参りましたけれども、そこは定員60名で浄土真宗のお坊さんが経営している児童養護施設なのですけれども、ここは虐待で入る子が一桁台でした。10人に満たない。やはり療育不適や療育放棄という人達はやはりいますけれども、虐待は少なかったです。釧路の場合は非常にこの虐待が多い訳です。一昨年の統計で昨年、今年とは少し様子が違うかと思いますけれども、札幌の児童相談所、児相の扱いで、年間68名の虐待児が出ました。札幌は150万都市ですから大きな街ですけれども、それでも68名しか無かったのです。釧路は19万人、根室も入れて釧根地方含めて25万から26万人になりますか、それで78件の虐待児が出ました。これを1つとっても釧路地方に於ける子供の情況が非常に悪いという事をご認識頂けるのではないかという気が致します。あまりお話ししたくない様な事情がたくさんあるので、子供達も色々な事由で入って参りますけれども、これは1つの例なのですけれども、昨年小学校4年生の子が入園して参りました。母親に3千円渡されて、これで1週間食事をして留守番をしてくれと言われて、その子供は非常に賢い子なのです。きちんと計算をして、そして1週間待っていた訳です。待てど暮らせど来ないものですから、近所の人があの子は1人でいるという事がなんらかのあれで児童相談所に入って、うちの方に入って来たという経緯なのですけれども、この子の場合はやはり1週間経っても母親は現れない訳です。うちに入ってきてからもうちの園長に「1週間経ったから家に帰っても良いんでしょ?」と朝、昼、晩と聞くのです。ところが母親が現れないものですから、どうしても返す訳にはいかない。結局は1ヶ月経って札幌でその母親が見つかった。しかし全然子供を養育する気が無いという事で措置に変わって園児に変わったというケースもあります。この様な事が今たくさんこの釧路市で起きている訳です。皆が皆、悪い訳ではないのですけれども、その様な子供が1人でも2人でも居るという事が問題ではないのかという気が致します。
 それでご依頼のまりも後援会のお話しを少しさせて頂きたいと思いますけれども、昨年まりも後援会が発足致しました。ここにおられる皆さんにも入会をして頂いて、ご支援を頂いている方がたくさんいらっしゃると思いますけれども、これは今の伊東市長が道議だった時代に私がお願いをして、うちの理事になって頂きました。それ以来ずっとここ7、8年、毎回、毎年、卒園式にはお出で頂いて、子供達の卒園情況を見ておりました。昨年北陽高校を卒業した小松くんという非常に優秀な子供がおりました。この子は北陽高校に行ったのですけれども、実は湖陵の理数科に通るくらいの優秀な子供だったのですけれども、サッカーが好きで北陽高校のサッカーに行くから北陽高校に行くと言って行ったのですけれども、本人は自分の家庭環境を考えれば大学進学は難しいという様に言われてもいたし、本人も一応は納得していたのですけれども、やはり卒業時期になって大学へ進学をしたいという意思表示をしたのですけれども、母親が離婚をして新しい結婚をしたものですから、どうしてもその子の面倒を見る事が出来ないという事で、うちの園長とも相談して学費くらいは出してあげられないかと色々な相談をしたのですけれども、一時的な感情で支援をしても大学は4年ある訳ですから、とてもその4年を全うすることは出来ないし、その様な財政的な事は裏付けがないという事でこの子はとうとう進学を諦めて、今札幌の方へ勤めています。それを聞いた伊東市長がかわいそうだと、何とかやはり子供達に進学の道をつくってやらなければならないという事で後援会を組織しようという事になりました。もともとうちの学園には後援会というものがあったのですけれども、色々な支援をして頂きましたけれども、会員の方々が非常に高齢化が進みましてもう支援が出来ないと、中には一生懸命して来られた方が亡くなられたという事もありまして、後援会の活動が出来ないという事で4代目の山田さんという学校の先生、校長先生ですけれども、この方が後援会の会長をしておられたのですけれども、この方が亡くなられてから休眠状態になっておりました。前の後援会活動の中で1人北見工大へ行った子がいます。この子にもやはり色々と財政的な支援をして、この子は北見工大4年を無事に卒業しまして今は社会で立派に働いておりますし、卒園式には時間があるとまりも学園にもきてくれる、この様な優秀な子がおりました。もう1人小樽商大に行った子がいるのですけれども、結局財政的な躓きがあって中途退学をせざるを得ない、今は消息が分からないという様な事になっておりまして、簡単に一時的な同情だけで支援をするといっても、最後のつめが出来なければ何もならないという事がありまして、後援会活動もその様な点で難しい面を持っております。それと私が一番気になるのがいくら勉強してもうちの在園生が大学へ進学出来る訳ではないと、いくら進学したいと思っていても裏付けが無いから大学へ行けないと勉強しなくなるのです。これが一番残念ですし、特に去年の小松君くんも勉強しなくても良い成績で結構北陽高校ではトップクラスにいるのです。この様な子はもし何か色々な手だてがあって大学へ行ければ優秀な人材に育つのではないかという気はしますけれども、今のまりも学園の組織の中ではこれを支援する事は全く出来ません。それを聞いた伊東市長は何とかしなくてはならないという事で新しくまりも後援会を組織するというのが昨年発足致しました後援会の実情でございます。色々子供を進学させる為には問題はたくさんありますし、簡単には行かないのですけれども、やはり頑張れば進学する事も出来るのだという事を子供達にもって頂きたいという思いが出来てきたという事を、私は非常に嬉しい事ですし、この後援会は素晴らしい事なのだと、その様な気が致します。その様な点で皆様方のご支援に心から感謝を申し上げる次第でございます。それで昨年は今年の4月に卒業した子が短大に2名進むという事で、助成金をお渡ししました。喜んで今、大学へ通っております。子供達の中にはやはり勉強したいし資格を取って少しでも社会の為に役に立ちたいという子もいます。5年くらい前、もう6年になりますか、登別の方の旅館に就職した子が一生懸命働いて、そして夜、保育士の専門学校に入って、そして2年間それを全うして保育士の免許を取った子もいます。この様な子を見るにつけて、やはり人間の素材を活かしてやるのは我々の勤めなのだという気が致します。色々な難しい家庭環境の中で、年々園児の学力が低下しております。今もううちの子供達の中にも5段階評価でオール1という子がたくさんいます。それでもやはり高校へ進学させて、そして就職までさせなければうちの学園を退園する事が出来ない訳です。我々としても就職してどんどん社会へ進出させなければ、どんどん園児が、それでなくても満杯状態の中では留年はさせられないという事で、色々教育大の生徒の方とか先生方にお願いをして、学習指導もして頂くし、退職した校長先生方に組織の中に入って頂いて、色々なご支援、ご指導を頂いております。そのせいか非常に子供達もやる気になって一生懸命勉強しております。中にはどうしても勉強に馴染まないという子もいますけれども、やはり1つやる気があって自分の目標が努力をすれば達成できるという希望を持って頂ければそれなりの成果を上げるという事をこの目で見て参りました。やはりこれは大事にして行かなければならないのだという気が致します。色々これからも課題は多いですし、この地方特有の色々な難しい問題もあるのですけれども、やはり子供を育てるという事は我々の社会に於いても大切な責務でありますし、私も微力ではありますけれども子供達と一緒になって、何とか将来に向かって伸びていく様な方法を考えなければならないという事で努力をしているのですけれども、何しろ1人でやる力というのは限られておりますし、皆様方のご支援を頂かなければとてもその目的を達成する事が出来ない、これが今のまりも学園の実情でございます。申し上げたい事はたくさんあるのですけれども、約20分くらいというお話しでしたので、予定は少しオーバーしましたけれども、やはり今、釧路にとっても、この日本にとっても人材を育てるという事の重要性が非常に問われております。国も教育基本法の改正やら色々な事を今やって、人材育成の為の努力を今しておりますし、我々もやはり自分達の手で出来るだけの事はしていかなければならないという認識の上に立って毎日過ごしている次第でございます。何かまとまりのない話になりましたけれども、今、釧路の子供達はやはり北海道というのは日本全体から見ても非常に子供の状態が悪い情況、経済的なものもありますし色々なものが悪いのですけれども、その中でも北海道の中で一番悪いのは残念ながらこの当地釧路でございます。という事は論法から言えば日本で一番悪いのが釧路だという事になる訳です。児童相談所の人達の話を聞いても釧路の児童相談所で勤まるなら日本全国どこにいっても勤まるという様な情況が実はある訳です。これは誰が良いとか悪いとかいう問題ではなく、やはり市民皆で立て直しをしていかなければならない、その様な気が致しております。何か暗い話しばかりで申し訳ないのですけれども、中には努力をして立派に資格を取って頑張っている子もいるという事をお聞き頂いて、ご勘弁頂きたいと思います。どうもまとまりの無い話しで申し訳ございませんけれども、これで終わらせて頂きたいと思います。どうもありがとうございました。

謝辞
青田会長

 今のお話しを聞いていましても本当に大変なお仕事だと思います。している事はロータリーの我々にも通じる事が当然ある訳ですし、会員の中でも協力している方々が多数居ると思いますけれども、どうか趣旨に賛同されて出来るだけ皆さんご協力して頂きたいと私の方からもお願いをしたいと思います。今日は本当にありがとうございました。些少ですけれども、あっ、そうですか。また気持ちだけという事になりますけれども、本当にありがとうございました。

野遊会
 会長の話にもありましたが、5月26日の土曜日に千代の浦海岸で野遊会が行われました。
 あまり天気が良く無かったことが幸いして、全員が部屋の中に集まり、語り合い、親交を深めました。予定をしておりましたホエールウォッチングは荒天のため中止となりました。残念!
会長の時間
6月7日(木) 18:00〜クラブアッセンブリー
会長の時間
会長の時間 会長の時間
本日合計 本年度累計
日時 会員数 出席率