2006〜2007年度 第35回(通算2972回) 例会報告
作成日:2007.4.02
会長 青田 敏治   幹事 西村 智久   広報・会報委員長  木下 正明

会長の時間
会長 青田 敏治
 皆さん、こんばんは。まず昨日、田中さんと北畑さん、両君の送別会に多数の出席、ありがとうございました。当人達も大変に喜んで感激してお帰りになりましたし、やはり転勤になりましても次の方にきちんと引き継ぎをしておきましたと挨拶してくれるとやはり皆さん行くのだと思いまして、これで後は引き継ぎがありませんという事になりますとどうなるのかという様に思わず思ってしまいましたけれども。

 さて、今日は落語を聞くという、私もロータリーに入会して13年くらいになるのですけれども、例会でやるのは初めてでは無いかと思うのですけれども、古い方、どうでしょうか。無いですよね。私も大変楽しみにしておりますけれども、折角なので落語という語源はどこから来たのかという事を簡単に調べてみたのです。難しいので。そうしましたら、落語というのはいつ頃誕生したのかというのは、辞書の中で笑い話という項、笑い話というところで近世の落語の元という項目がありまして、近世というのは信長や秀吉の時代、安土桃山時代から江戸後期までの間を言うのだそうで、近世の落語の元というのはその様な事なのです。それはどの様な事かと言いますと、大衆演芸の一つ、落語というのはですね、それから小話から発達した日本独自の話芸、滑稽話しを主眼とし、結末に下げ、落ちが付く落とし話という様に書いてあります。お笑いというのも書いてありました。いずれにしても落語を聞いてゲラゲラ笑う事にこの落語というのは意味があるのでして、しかめ面して聞いていても何も良い事は無いのですから、この笑いというのもついでに、この笑いというのだけでも随分あるのです。笑いが漏れる、笑いをかみ殺す、笑いこける、笑い飛ばす、笑い上戸なんていうのは酒を飲んだら、羽生さんあたりは相当笑い上戸になりますけれども笑い上戸、まだまだたくさんあるのですけれども、どちらにしても今日は腹の底から笑える落語なのでしょうね。ともかく大いに笑って、笑うというのは健康に非常に、馬鹿な事を言っていますけれども非常に良いという事なので、笑って頂きたいという様に思います。この笑い、笑いという事になりますと2、3日前に私に大変良く似ました、将来は間違いなく美人になるだろうという初孫が産まれまして、これが可愛いのです。今日初めて腕に抱いたのです。もう本当に感激しておりますけれども、抱いたその時の私の顔はやはり愛情に溢れたとても良い顔になっていると、自分でも何となく締まらない顔になっているというのが分かります。その様なところで孫って本当に可愛い、それからどこで閉めて良いのか段々分からなくなったのですが、閉めます。いや、あるのです。落ちを作りました。携帯の待ち受け画面は孫の顔と、いうところで落ちにしたいと思います。ありがとうございました。
会長の時間
会長の時間
落語を楽しむ夜間例会」
趣旨説明 
プログラム委員会
委員長 宮本 
英一

 プログラム委員長の宮本でございます。
 本日は「落語を楽しむ夜間例会」という事で、皆さんご存じかと思いますが、釧路にもう20年くらい前からございます、釧路落語めい人會という素人の方が昼間に仕事をされていてお休みの日にこの様な落語ですとか漫談をされる会がございます。定期的に正月とお盆の時期と公演、寄席を開いていらっしゃいますし、不定期ではございますけれど例えば山花リフレですとか色々な会に呼ばれてご披露されておりますので、ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。先程会長のお話しにもございましたが、今年度はロータリーを楽しもうという事でございましたので、個人的にも私は落語が好きなものですからお呼びする事にした次第でございます。笑う門には福来たるということわざもございますし、先程会長の方からもお話しがあった通り大いに笑って頂いて、福を呼びたいという様に思いますので、今日は楽しんで頂ければと思います。よろしくお願い致します。 

釧路落語めい人會
なんかいいおうかいさん

 皆様こんばんは。釧路落語めい人會と申します。めい人會の「めい」の字が違いますのでお間違いない様に、本物の名人では無いのですけれども何故かこの釧路の街で素人が集まりまして今年満20年目を、ですから21年目に入っております。下手の横好きと申しますけれども皆で楽しい事をしたいというのが集まりまして10人ほどのメンバーで落語、講談、漫才、手品、手踊り、その他諸々を組み合わせまして年2回の定期の公演をしております。どうぞごひいき頂きたいと思います。私、落語めい人會の発足の時からのメンバーで、今、漫才をしておりまして、芸名は「なんかいいおうかい」と申しますので、どうぞよろしくお願い致します。

 それでは本日のトップを切りまして漫談「浅太郎」でございます。盛大にお迎え下さい。それではよろしくお願い致します。

浅太郎さん
 おばんでございます。浅太郎でございます。お世話になっております。団塊の世代、代表してやって参りました。ひとつよろしくお願い致します。男道楽一代、浪速しぐれ桂春団治、もう20年やっております。

♪酒も飲めなきゃ女も抱けぬ
そんなド阿呆は死になさり
この世は飲んべえが引き受けた
あの世はあんたに任せたぜ
男浮き名の春団治

台詞 わいは女が好きや ほんまに好きや
     世間の奴らはわいの事を女たらしとか後家殺しとかいうけど アホ抜かせ
     女もこさえんと銭ばかり貯めるやつは 一人前の芸人とはいわんわい
     うまいもん喰うて 飲みたいもの飲んで 女が惚れてきたらこっちも惚れたる
     これがほんまの芸人や
     なんやて 税金払わないよって 差し押さえにきたってか
     なんぼでも押さえてや
     けど言うとくで そこら辺の物にぎょうさん紙を貼っても無駄なこっちゃ
     貼るのやったら わいの口に1枚貼った方が値打ちがあるわい
     わいはな この春団治はな 口が身上や

♪人情小話 お色気話
口も八丁 手も八丁
女房は捨てても 捨てきれぬ
八方破れの寄席太鼓
命捨て身の春団治

台詞 どいつもこいつもわいの心が分かるヤツはひとりもおらへん
     女房も愛想をつかして出てきくさった
     ええわい 春団治の値打ちが分からん女房なんかいらんわい
     わいは高座に命を掛けているんや 女房がなんじゃい
     子供がどないしたっちゅうんやい
     わいの女房は落語じゃい
 
♪すねて狭めた浪速の空に
なんで丸い月が出る
ほろ酔い機嫌の屋台酒
よろけて一足跨ぎます
ほろり涙の春団治

どうもどうも失礼致しました。

 もう来る前からきっと知った方がいらっしゃるだろうなと思って、でもめい人會初めてですよね。前に声を掛けてくれた時はすっかり準備していたのにキャンセルした。その様な方も最近、60歳になります。駄目ですね。商売柄色々な方との交流があったのですけれども、偶に会いますと顔は覚えています。顔は。よく親しくして頂いたのにほれ、名前が出てこない。でしょ? あるよねぇ。ご婦人ばかり相手にしているから、ご婦人なんかすぐ変貌しますから、後で名前を聞いてびっくりする。「あっ、どうもしばらくでございます」「ああ、どうも、お元気で」「ああ、どうもどうも、失礼します」誰だったけなぁ、誰だったけなぁ、悩むんです。「ああ、どうもどうも、お元気で、お子さん大きくなって」「えっ」「ああ、失礼致しました」独身で結婚した事のない話ですから、「ああどうも」「いや」「そっちはあってるんだども」「いやいやすみませんね」「あの顔はよく覚えているんだけども、名前がちょっと、すみません」「なーに、名前忘れたってか」「おめの兄貴だべや」。こういう世界です。
 私の親も明治
41年、生きていればですよ、生きていればもう90歳を越えている年ですけれども、残りの半年くらい「お前誰だっけ」と言われた時はもう愕然としましたものね。それでいて嫁さんの顔と名前は覚えている。「お前確か息子だよな」もうなんも言葉ないよね。お前確か俺の親だよなと言い返せませんでしたけれども。ねぇ。昔の人ですから。私も本当に虫歯が何もない。小さい頃から馬車で積まれていく昆布、春採でしたから、馬車の後ろに近づいていって昆布をしゅっしゅと抜いて、それがおやつ代わりでさ、なんか折りたたんで口の中さいれて、ねぇ、そういう時代に育っていましたから、もう今は珍しいけれど昔数の子なんていうのはどこの家にももう、富山の薬とかやまこの薬の中に数の子が一杯入って、家中の壁に釘さぶら下げてあったんです。学校から帰ってきてなんも喰う物が無いからそれ出して、かじるの。しょっぱいだけで固くて固くて、がりがりって喰ってたんですよ。頷いています。そうですよね。ニシンなんか猫またぎなんて言われたもんですから、だから歯だけが丈夫で。私の親もそうでしたよ。80なんぼで死にましたけれども、虫歯なんか1本もありませんでしたから。全部入れ歯でしたから。ねぇ。友達に歯医者もいるのですけれども、付き合いでたまには行ってやるんですけれども、なんもする事が無い。歯石取るとかなんとか、やたらスースースースーされるだけで、ねぇ、歯があるのに噺家かって言われるのですけれども、もう勝手にしてくれってもんです。
 まあ、
60ですから釧路の古い話が多いのです。ここの商工会館の頃から。道東経済センタービル、昔あれば産業会館でしょ。あそこでも結婚式をやりましたよねぇ。ホテル市川だった。古いねぇ。こないだ吉良平次郎の芝居をやって、時代はあそこらへんの時代、いつも見て頂いてありがとうございます。すいませんねぇ。芝居もやるけどこういう事もやっているのさ。芝居は食えないですから。一銭も貰えない芝居、毎月部費払うというだけで、儲かった儲かったって言ったって大変なんですよ。とにかく人前に出てしゃべるのが苦手で出てきておるんですけども、芝居はいいのです。一生懸命稽古して台詞を覚えるから。こういうとこというのは思いつきでいってますから、今日のお客さんはこのラベルでしゃべっていいなと思ってしゃべってる訳なんです。ね。吉良平次郎、死んだときにお焼き持ってたんですねぇ。むかし南大通が中心でしたから、この間吉野家に行ったから、もう吉野家しか無いでしょう。聞いたんです、私。吉良平次郎が死んだのは大正11年頃の話しなんだけども、吉良平次郎お焼き買ったのはここで買ったんだべか? 聞いたの。そしたら平林さんって言うんだ、あそこ。いやいや、壁にちゃんと書いてたの。1947年創業、吉野家さん。昭和22年、俺の産まれた年に始まった店だったの。とても吉良平次郎時代じゃないんですよね。それでも昔はお焼きだっけの店だったんだと。仲間内では吉野家、あそこのカツ丼が美味いっていう話。何が美味いんだ、あの卵のとろとろが絶妙だっていうので、私、昭和に住んでいるんですけれど、わざわざカツ丼喰いたくなったら吉野家まで行くんですよ。別に吉野家さんからなんにも貰ってませんけども、まなぼっとで芝居を見ても今どこも店開いてない、吉野家だけが開いてるんですね。あそに降りてラーメン喰って帰ったりするんですけれども、人っ子ひとりいない南大通、こんな話しもあるんですよ。北朝鮮からテポドンが飛んできて北大通に落ちたんです。1人のけが人もなかったっていう話。
 あら、すみません、端っこに、いつも同じネタですみません。ねぇ。新しいネタもあるんです。
10ヶ月間失業してましたから、社長。ハローワーク通ってました、私も。暇で暇でね。昼間から温泉巡りでしょ、あちこちの温泉、ずっと歩って、昼間はいいね。誰も入っていないだもの。誰も。テレーノ標茶も、平日。良いお湯だ。家にいたらほれ、湯船の中にタオル入れたとか何だとかって怒られるけども誰もいないんだもねぇ。炭坑育ちですから湯船の中で身体擦るのなんて当たり前だったの。久しぶりに嬉しくなってテレーノのお湯の中で擦った擦った、もう足の裏もお湯の中で瞬きしたいくらいもう、誰もいないんだもね。あ、おばさんシャンプー取り替えに入ってきたのさ、「あ、すみません、手ぬぐい落としちゃって」「あれお客さんいいんですよ。皆さんしてますから気にしないで下さい、さっきまでそこにパンパース浮いてたんですよ」こういう話です。ねぇ。20分ですから急いでやらないと何しゃべったらいいか、今日、大楽毛をずっと仕事で回ってきたら福寿草がいっぱい、もう出てますよ、福寿草。だからどうってことないんですけど、やっぱり春は来るんだなと。ねぇ。春が来る。そしたらまた畳、半坪くらいのうちに家庭菜園をやってますから、そこさ人参、去年も人参を植えたんですけど、いっぱいばらまきしてるから葉っぱがいっぱい出てくるから間引きするんですよね。人参の葉っぱ、一生懸命おひたしとかいいって言うから喰ってたんです。こんなちっちゃこいの。ある程度飽きてぶん投げておいたら、秋になったらそこさコスモス出てるの、いっぱい。よく見たらコスモスの葉っぱも人参の葉っぱにそっくりなのさ。もしかしたらコスモス喰ってたかな。ねぇ。「これうちの大根だから、無農薬だから、ほらちょっとみったくないけど、無農薬だからむしってって喰え。ちょっと持ってって喰え。無農薬だからな、これ。ハネモンなんだ、売り物にならないから、みったくなくなっちゃって、まった2つに別れてて、無農薬だからいいんだ、いんだ。」「無農薬、身体にいいんですか。」「みったくないだけだから、ああ」。「娘さんですか?」「ああ家の娘だ、嫁さんも行かないで。どした」「お父さんも無農薬だったんですか」。「あ、奥さんですか、あれ」「うちのかかあだ、知ってんのか」「いや、しらん。ああ、奥さんハネモンだぁ」うん、こういうのポンポンやればね、まあいいです。部分的に全然、まぁこういう商売なんです。よくほれ、グループホームとか老人ホームとか行くの、頼まれて。全然もう反応が無いですから。しーんとしてるんですよ。そういう時にもうね、もうとにかく自分に籠もってひたすらしゃべってくるんです。30分も。歌、歌ったりなんだりもするけどね、「ばぁちゃん面白くなかったか」「あ?あ?」聞こえてないの。

  台詞 やけのやんぱち 日焼けのなすび 色が黒くて食いつきたいが
     私しゃ入れ歯で 歯が立たん 
     20年やっていますよ。私、これ。
     私 生まれも育ちも葛飾柴又で 帝釈天で産湯を使い
     性は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅とはっします
     さていいかねお客さんね
     角は一流デパート赤木屋、黒木屋、白木屋さんで
     紅白粉(べにおしろい)つけたお姉ちゃんから
     下さい頂戴で頂きますと五千が六千、七千が八千、
     1万円当てたらねという品物 そんなに頂きません
     さぁ寅さんが何を売っていたかというヤツですけれども、
  
     さ 最初の数字が一つだ 
     物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、
     泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこのオジサンっての。
     寅さんが言っている

     さ、付いた数字が2つだね
     兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ仁吉(にきち)が通る東海道、
     日光結構東照宮、憎まれ小僧が出来ちゃいけねってんで、
     教育資料の一端だ持ってきな。

  3、3つ。産で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女ごじゃないよ。
     京都は極楽寺坂の門前でかの有名な小野小町が、三日三晩飲まず食わずに
     野たれ死んだのが三十三。とかく三という数字はあやが悪い。
     三三六歩(さんさんろっぽ)で引け目が無いという。ねぇ。

 おなじみ4つ。
    四谷赤坂麹町(よつや あかさか こうじまち)チャラチャラ流れる御茶ノ水、
    粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、
    色は白いが水臭せえってやつ。
    四谷赤坂麹町(よつや あかさか こうじまち)チャラチャラ流れる御茶ノ水、
    粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、
    色は白いが水臭い。
    一度変われば二度変わる三度変われば四度変わる、淀の川瀬の水車(みずぐるま)、
    誰を待つやらくるくると。
    ゴホンゴホンと波さんが、磯の浜辺でねぇあなた、あたしゃあなたの妻じゃもの、
    妻は妻でも『阪妻(ばんつま)よ』ときやがった。

  さあ、続いた数字が六つです。昔、武士の位を禄(ろく)という

   後藤又兵衛が槍一本で六万石。
   ロクでもない餓鬼が出来ちゃあいけねってんで教育資料の一環だ、もってきな。
   七つ長野の善光寺八つ谷中(やなか)の奥寺で、竹の柱に茅(かや)の屋根、
   手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。
   信州信濃の新ソバよりも、あたしゃあなたの傍が良い。
   あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまでっていうやつ。
   ねぇお客さん。
   ここまでいっちゃったら私、浅野匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないけど
   腹切ったつもりよ。買ってちょうだい。ダメよ、いくら見てたってダメでしょう。
   いくら掘っても畑にゃハマグリ出てこない。
   たいしたもんだよ蛙のションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしってね。

   とかく西へ行きましても東に行きましても土地土地のお兄いさん、お姉さんに
   ご厄介掛けがちなる若造です。

   見苦しき面体をお見知り頂きまして、強行万端しきたってよろしゅうお願い致します。
  
浅太郎終わります。ありがとうございました。

会長の時間
4月05日(木) 12:30〜会員リレー卓話」
会長の時間
青田 敏治 初孫が生まれました。
会長の時間 会長の時間
本日合計 本年度累計
日時 会員数 出席率
3月22日 100名