2006〜2007年度 第13回(通算2950回) 例会報告
作成日:2006.10.09
会長 青田 敏治   幹事 西村 智久   広報・会報委員長  木下 正明

会長の時間
会長 青田 敏治

 お食事中の方はそのまま続けて結構でございます。紋別で行われる地区大会に明日から3日間ほど行って参ります。当クラブから会員が16名、パストガバナーが2名、それと交換留学生と米山の留学生2名、総勢19名の参加になりました。紋別は遠方地ですので参加者が少ないのではと随分心配しておりましたけれども、充分メンバーが揃いました。皆さんの温かい友情に感謝申し上げる次第でございます。また釧路市内6クラブからも相当数、紋別に行きまして、末広界隈も暇になるかと思いましたら、ちょうど弁護士会が全国大会を釧路で開いてくれるということになりましたので、思い切ってお金を落としていってもらえるように、よろしくお願いをしたいと思います。なお、また国際委員会の梁瀬氏と白崎両君には交換留学生のシュリスさんを、また山口君には米山奨学生チョウ・イコウさんを引率し、それぞれ担当者として行くのですけれども、何かと気苦労も多いかと思いますがひとつよろしくお願いします。
 それでガバナー事務所から案内が来まして、前年度の石田会長と吉田実行委員長が会員増強をしたので、表彰したいということになりました。それで例年の通り、3日の最終日に朝少し顔を出して、挨拶して帰る予定を組んでおりましたが、石田前年度会長のお陰で最終日最後の最後までいることが出来るという大変うれしい思いをしております。ありがとうございます。その様なことで最後までいてご報告をしたいと思いますけれども、釧路クラブは4名の増員なのですけれども、4名で表彰されるというのは他のクラブはどうなっているのかということで調べましたら、まず2500地区は68クラブあるのは皆さんご存じでしょうけれども、前年度6月30日で終わった時点で会員は2555名なのですけれども、43名の減ということだそうでございます。それで会員数の1番多いクラブはどこかと言いますと帯広クラブで113名、次いで我が釧路クラブが96名ということになっておりまして、表彰される会員増強したのはどうかと言いますと、1番が帯広南クラブで6名、2番目に名寄クラブで5名、そうして3番目に利尻と、釧路クラブで4名ということでございます。では増えたなら減ったところもあるだろうということで、1番減少したのが別海クラブでございまして、会員数34人のところを半分の17名が減ったということでございまして、これはまたすごい話だという様に思います。では女性会員はどの様になっているかと言いますと、56名いるのだそうです。2500地区で56名。多いのは帯広クラブの5名と帯広南クラブの5名というのが多い方でございまして、当釧路クラブに於いては何度となく女性会員をどうするかと話し合いをしてきましたが未だ結論出ず、各その年度の会長が先送りしてくるものですからどうしたものかと思いますけれども、時期を見てまた皆さんのご判断を仰ぐということで良いかと思います。なおかつ参加される皆さんですけれども、紋別は遠いですから、行き帰りの交通事故に充分気を付けて行って欲しいと思います。楽しい地区大会になるように願いながら今日の挨拶にしたいと思います。ありがとうございます。

会長の時間

会長の時間
「会員リレー卓話」
趣旨説明

プログラム委員会 
委員長 宮本 英一
 こんにちは。プログラム委員の宮本でございます。今回は今年度20062007年度に入りまして、少しでも多くの会員の皆さん方からお話しを聞く機会を設けようという方針に則りまして、2回目になりますリレー卓話を企画させていただきました。前回、時間が少し足りなくて、お二人の方にしかお話ししていただけなかったのですが、3人目に指名をされるところで時間切れということになりましたが、もう皆さんどなたに指名されたかお忘れになったと思いますので仕切り直しということで、今回新たに指名をさせていただきます。どの様なことでも結構ですのでお話をいただければと思います。それでは早速、白崎功一さんからお話しをいただきたいと思いますのでよろしくお願い致します。




白崎 功一会員

 こんにちは。先週の例会の折りにプログラム委員の舟木さんから声が掛かりまして、今日の卓話で何か話をする様にと言われました。最近、何か声も嗄れてきたと言いますか、思うように出ませんし、それからまた言葉も上手く繋がって出てこない訳ですから、これは困ったと思っておりました。しかし引き受けた以上はしない訳にはいかないということで今日は原稿をつくって参りまして、その原稿を読みながら進めていきたいと思います。10分ほど皆様方のお耳を汚すかと思いますけれども、よろしくお願い致します。
 昨年の春に偶然、真砂町倶楽部の事務局の方とお会いする機会がありまして、1年に1、2度、散策会を行っている。1度つきあってみないか。この様なお話しがありました。それで9月に行われた散策会に参加してみました。散策する場所は明治時代に釧路の発展に寄与した産業の発展場所で、市内か近郊の中から選ぶと言っておりました。昨年秋に行われました散策会は、明治の初めに釧路港から大量の硫黄が輸出された訳でございます。その明治20年以降安田財閥がそれを大々的に掘削し、精錬して、川湯の硫黄山から釧路まで運んだということになっておりますけれども、その掘削や精錬には釧路囚治監、当時釧路刑務所ではなく、釧路囚治監という名称で標茶町に開設されてあった訳です。ここに収監された囚人の強制労働で、掘削、採掘した硫黄の産出現場や精錬場、その様な場所を見学し、また硫黄山と同様に囚人の動員によって開通されたアトサヌプリから標茶までの釧路鉄道、アトサヌプリというのは硫黄山のことでございます。この間の鉄道が解体されて無くなったあと、路床の跡を見てきた訳です。釧路鉄道は大半が現在の釧網線になっているという話でございました。これらを見学して色々感じたことがございますが、その2、3についてお話ししたいと思います。
 参加したのは20名くらいで、まなぼっとの前に集まりましてバスに乗り、現場に到着するまでの時間は元釧路図書館長の寺島先生が、散策の場所の見方や当時の文献に基づいて色々分かりやすく説明をされておりました。この散策会で特に印象つけられたことをお話しする訳でございますけれども、まず北海道で2番目に開設された釧路鉄道のことですが、川湯の硫黄山から標茶までの鉄道建設が明治20年、これから20年とか27年とか数字がでてきますけれども、大体今から110年から120年くらい前、私が今78歳ですから、私に40歳くらい足した、ちょうど私らが子どもの頃におじさん程度の年齢の人が生まれた頃の時代で、そう古いものでは無いと思いますけれども、その頃の話になって参ります。
 明治20年の5月に着工しまして、同じ年の12月に完成したことになっております。これは7ヶ月間で完成したということでございます。全長が41km、そしてこれだけの工事を、今私共の建設関係で70日間でするということになりますと相当きつい工事でありまして、もちろん機械力もなければ何も無い、人力でした時代でございますので、どう考えても信じることが出来なくて、この施工の手順というものがどの様な方法でしたのか是非知りたいと思っていました。後で少し触れますけれども、その次に色々な資料をたくさんもらいましたが、その中で日本で初めて発行されたという時刻表のコピーが入っておりました。この時刻表には明治27年発行と書かれています。今から112年前です。私は明治時代に硫黄を積んだ貨物列車を運行していたということは前から聞いていて知っておりましたが、硫黄事業以外の一般の輸送も営業していたということは全く知りませんでした。お客さんの輸送は明治25年から始まりまして、27年の乗客数が4206人という記録が残っているようでございます。乗客はどの様な人が乗ったのだろうと考えただけで大変興味深いものがある訳でございます。
 次に川湯駅から標茶駅間に現在4ヶ所の駅がございます。川湯から始めまして美留和、弟子屈、南弟子屈、磯分内と4ヶ所ある訳ですが、この時刻表には2ヶ所より出ておりません。カタカナで書いた駅名でございまして現在につながるものが無いようですし、私も年の人に2、3聞いてみたのですけれども、やはり場所が明確ではございません。現在の駅ではないと思います。またこの時刻表には当時開設していた道内の鉄道の幌内と幌内幾春別間、手宮札幌間の時刻表も書かれており、次のページには全国各鉄道汽車発着連絡時刻表及び乗車賃金表というのが書かれております。この時刻表は鉄道マニアにとりまして大変貴重な珍しいものではないかと思います。
 また後日になりまして散策会のことを思い出し、パソコンで標茶町、弟子屈町、硫黄山関連、また釧路囚治監、釧路鉄道などを検索してホームページなどを読んでみましたが、その件数は相当な数でしたが鉄道建設や硫黄採掘、精錬などの作業の状況や、それからまた途中の経過、一切記録がありません。何故無いのかと色々調べた結果、そのことはやはり、当時厳重に口止めされていて、囚人がした仕事の中身などは絶対に口外しては駄目だと、その様な記録も残しておかなければ何もない、世間には一切漏れていないと、これが事実の様でございます。結局、私が是非何とかして知りたいと思ったこともとうとう分からずじまいで、いくら調べても駄目だということが分かったと。その様なことでございます。
 それで今日、先程申し上げました列車時刻表のコピーをもらったのですが、そのコピーを10枚程度持ってきていますので、大山さんに預けてありますので、もし興味がある方がいらっしゃいましたら大山さんから貰って読んでみてください。別な意味で読んでいくと面白いことが書かれていますので、ではよろしくお願いいたします。終わります。
 次の人を指名するということを仰せつかっておりましたが、何かこう久しぶりに演壇に上がって興奮したせいか忘れてしまいました。私の次に本間さんにお願いすることになっていますので、よろしくお願いいたします。

本間 榮一会員

突然の指名で驚いていますけれども本当に私も白崎さん同様、久しぶりに前に立たせていただきまして本当に足が震える思いでございます。何を話そうかと思い、一生懸命考えましたけれども、私、歯科医として昭和53年に開業させていただいております。その辺につきまして少し最近はどの様な方向で治療が進んでいるかということをお話しさせて頂きたいと思います。
 私が開業した当時は歯が痛いということで歯を抜いたり、取り外しの出来る入れ歯を入れたり、虫歯を詰めたりというごく一般的な治療が多かった様に思います。昨今はと言いますとだんだん審美ということが求められてきております。きれいにしたいと。歯の方にも一応見た目を気にするということがだんだん出て参りまして、昔ですと1つくらい歯が無くても、またはいらっしゃるかどうか分かりませんけれども金歯や銀歯が前に出ていたのが良しと言われる時代がありましたけれども、だんだん自然に自然にということで進んで参っております。それで今はコンピューターでその様な自然なものでつくっていくということも出てきておりますし、また大人の歯並びの悪い方ですが、海外ではバンパイアティースと言いまして、やはり歯並びをきれいにするということが常識的なことになってきておりまして、日本でも子どもさんはもちろんそうですけれども最近は成人の方の矯正ということで、短期間に歯の移動、または歯をささえている骨を削っての移動ということで、1年弱くらいで歯を動かしてきれいにしていると。結婚式までにという方もいらっしゃいますし、卒業までにという方もいらっしゃいますしという時代になってきています。また取り外しということで義歯ということが常識的になってきておりますけれども、それも昨今では人口歯根ということである程度骨がありますと骨の中にチタンの歯を入れて、植えてというのでしょうか、そして機能回復していくということが日常の診療の中にもう入ってきております。その様なことでだんだん治療自体も変わって、皆さんの嫌いな診療歯科機械の音、それから麻酔と、だんだん無くなっていく様な治療が最近ではおこなってきているところでございます。何かその様なことでお困りの方がいらっしゃいましたらどうぞ私のところへ相談に来ていただければという様に思っているところでございます。先程あまり長くなると人数分の時間がないということで、私のところの委員長から仰せつかっております。宮本委員長から仰せつかっておりますので、次の方にそろそろということで。私の診療所の、最近の内容をお話しさせて頂きまして、次は宮本委員長、どなたでしたか。尾越さんに交代させていただきたいと思います。それではよろしくお願いいたします。


 

お客様の例会訪問
日本弁護士会の大会のため来釧されましたロータリアンが例会に出席されました。

会長とお食事をされるお客様

バナーを受取る京都洛南RCの佐藤邦友さん

バナーを受取る宝塚武庫川RCの模泰吉さん
会長の時間
10月12日(木) 12:30〜 「地区大会報告」
会長の時間
中村 幸史 長男が全日本フィギヤーの大会に出場します。
青山 一晃 ロータリアンとして世間をお騒がせしました。
会長の時間 会長の時間
本日合計 本年度累計
34,000円 461,000円
日時 会員数 出席率
9月28日 96名 79.5%