釧路ロータリークラブ 国際ロータリー第2500地区 Rotary Club of Kushiro
通 算
3486
2017-2018年度
26回 例会報告
2018年01月18日
例 会 内 容
年男 大いに語る
会長の時間
会長挨拶 邵 龍珍 会長
 皆さん、こんにちは。本日は、時間がたっぷりあるそうなのでゆっくり会長挨拶をさせていただきたいと思います。本日は『年男 大いに語る』ということで、後ほど対象者さんのお話をゆっくりと聞かせていただきたいと思います。
本年は戌年でございますので、それに対して先週、釧路新聞さんの掲載がありましたので読まれた方もいらっしゃるかわかりませんけれども少しお話しをさせていただきたいと思います。
 帝国データバンクのデータだったのですが、この釧根地域に本社を構える会社が4,670社ほどあるそうですが、その4,670社のうちの年代別でみますと、大正設立が3社あるそうです。昭和設立が3,303社、そして平成設立が3,364社ということです。昭和は64年ですから、平成は29年で考えると倍くらいありますけれども平成が昭和を60社上回ったということです。平成になって会社設立が簡易になったという理由もあると思いますし、起業家が多くなっているということが間違いないというデータだと思います。
そのような訳で、大正の3社ってどこかと思い、調べようかと思ってもなかなか資料がないので、困ったときにはグーグルということで、Google検索をしたら2社ほど出て来ました。1社が、星が浦南にあります「丸サ佐々木商店」さん、大正12年設立でございました。もう1社が当クラブの会員でございます栗林さんの三ツ輪グループさんで「釧路倉庫株式会社」さんが、大正8年設立と書いてございました。もう1つ、気になったのは当クラブの白崎さん、「白崎建設株式会社」さんの創業が明治18年なのです。法人化するのに昭和の多分一桁代だったと思いますけれどもそこで設立なので昭和になっていますけれども、やはり当クラブの会員の皆さまが今も昔もこの釧路地域の経済をけん引されていることを改めて実感したところでございます。
その4,670社の中で、戌年設立の会社がまた紹介されていました。60周年を迎える会社が釧路町の資材卸の「雄別林業」さんはじめ39社ほどあるそうです。48周年を迎える会社が49法人、36周年を迎える会社が66法人、12年目・干支が一周ですね、を迎える会社が102社となっているそうです。
 私の会社も平成13年設立ですので、いま17周年、8月で18周年目を迎えますけれど、もうすぐ20歳を迎えるまで元気な会社であるように日々頑張って行きたいと思っているところでございます。
 その戌年生まれの会社を今度は職業別に見たところ、48周年を迎える会社で一番多い業種が何かと言いますと建設業さんでした。それと12周年を迎える会社がサービス業、60周年・36周年・24周年を迎えるのは、卸・小売りと私の飲食業がその年代で一番多い業種だったということでございます。漁業・農業・林業はなかなか出て来なかったですけれども、個人でやっていらっしゃる方もたくさんいるから出て来ないかどうかは分かりませんけれども。
この釧根地域、特に道東は、上期に例会で学ばせてもらったように、自然の資源が、林業・漁業・農業・観光と大変素晴らしい資源がございますので、このような資源を大いに活かして当クラブの皆さま方には知恵を絞ってその投資力と行動力と、その面で新たな資源をつくった、使った、チャレンジをする、そのような人々が、会員がたくさん出ていただきたいと思います。1社では無理でも2社・3社の仲間内で集まってこの地域のために頑張っていただければと。
そのようなことがあれば私にそっと耳打ちしていただいて誘ってくれれば、ということをお願い申し上げまして本日の会長挨拶に代えさせていただきます。
本日はよろしくお願い申し上げます。
本日のプログラム
年男 大いに語る
プログラム委員会 委員長 松井 聖治 会員
 改めまして、皆さん、こんにちは。プログラム委員会の松井でございます。本日は、毎年恒例でございます年男の会員の皆様に大いに語っていただく例会でございます。それで、本年戌年の年男の皆様ですけれど、9名いらっしゃいますので、ここでご紹介をさせていただきたいと思います。
まずは、若い順に、昭和45年生まれの会員の皆さまで小野寺会員と後藤幹事、次に昭和33年生まれの方で、白崎会員・菅原会員・小野寺寛隆会員・米本会員、そのあとに昭和21年生まれの方が、栗林会員と下川部会員です。最後に昭和9年生まれの泉会員、と9名の年男の皆さまが本年はいらっしゃいます。
その中で、ご出席をいただきました4名の方に本日は大いに語っていただきたいと思っております。順番は、小野寺会員・菅原会員・栗林会員、最後に後藤幹事に時間調整を含めて締めていただきたいと思っておりますので是非この4名の方々に年男、大いに語っていただきたいと思います。
早速、小野寺会員からよろしくお願いいたします。
小野寺 俊 会員
 皆さま、こんにちは。昨年の年男例会では、いま松井君がいる場所で私がプログラムの副委員長をしていたので、そこで司会をさせていただきましたけれど。そのときは、工藤副会長1人しか昨年の年男の該当者がいらっしゃらなくて、『工藤彦夫、大いに語る』をしていただき、「来年は私がきちんと大いに語ります」ということで会を締めさせていただきました。
戌年の年男としては最年少ということでございます。私は昭和45年1月27日生まれで、阿寒町出身と思われているようですけれども、私が生まれたところは東京都世田谷区でございまして、実は結構都会人といいますか。というのは、私の母の実家が杉並区の久我山という所です。鉄道的に言いますと、京王井の頭線の久我山駅が最寄り駅ですけれども、そこの都営住宅に住んでいました。実家が都営住宅でございまして、その通りを挟んだ向かい側が世田谷区ということで、ほぼ杉並区みたいな世田谷で南烏山という住所ですかね。病院の名前も南烏山にありながらも久我山病院ということで、そこで生まれました。
皆さんご存じのとおり私は鉄道オタクなのですけれども、「なぜ鉄道が好きなの」というお話しもいくつか聞かれたりするのです。多分、物心付いたときから鉄道は好きなのですが、きっと釧路に住んでいまして年に2回とか3回とか東京のおじいちゃん・おばあちゃんの家に遊びに行ったら移動は電車なので、そのようなところで電車に興味を持ったことがキッカケなのだろうと思ってございます。
そうこう言いましてもそのあとは、私は至って普通の人生でございます。当時、実家が鳥取北6丁目というスーパーヒロセの奧の方にありまして、小学校は鳥取西小学校、中学校は鳥取中学校に1年行きまして、その間に鳥取西中学校が新設されまして2年生のときに1期生としてそちらに移りました。そのあと高校は江南高校を赤点ギリギリで卒業しまして、そのあと大学は東京の東京大学と一文字違う帝京大学で4年間、これもまた学校へ全然行かなくて卒業が、出席日数が足りなくて「卒業、お前できねーよ」という話だったのですけれども会社の内定ももらっていましたし、母親を連れて釧路のたらこ・明太子とか海産物を付け届けして何とか卒業することができました。卒業式が武道館で、帝京大学や高校など全体の卒業式でしたけれど、卒業式に行ったら、同期の数人の友人に「なぜお前がここにいるの」と言われたぐらいにして、「いや3日ぐらい前に卒業できることになった」という話で卒業させていただきました。
そのあとは、ゼネコンの西松建設というところで6年ほど働いて、そして、家業であります小野寺組へ入って現在に至るというところでございます。
そのくらいで、特に話はありませんが、皆さん私が鉄道と写真が趣味だということを分かっていると思いますけれども、実はそれだけではなくて、車も本当に好きで一時鉄道を離れて、若いときはいま走っているミニクーパーではない、いわゆる昔のクラシックカーみたいなミニクーパーに乗っていました。それを改造して、給料のほとんどをそれにつぎ込んで、十勝にある十勝スピードウェイという所に足しげく通って走っていました。なぜあんなに金を使ったのかといま考えると非常にもったいないことをしたのかと思います。車体価格の倍以上は多分改造にお金をかけたと思います。もったいなくて、いまはもう動かさなくなって15年位経ちますけれども、いまだにナンバーは返していますけれども、車庫の中に保管をしていて、いつか直して乗りたいと思っているところでございます。
それ以外にも、ミリタリー物が好きで、ミリタリーというと戦争・好戦的かと思われて、右の方の人に思われがちですけれども、マテリアルとして飛行機や船などがすごく好きで、ジャンパーなどもフライトジャケットといってパイロットが着るジャンパーを革ジャンも含めて10着くらい持っています。そのようなことが趣味であったりするところであります。
ロータリーに入って何年経ったのでしょうか、5年目でしょうか。6年目でしょうか。まだまだ戌年・年男としても最年少なので少なくても次の後輩、12年下の後輩が入って来るまでは一生懸命頑張ってロータリー活動に貢献して行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願いしたいと思います。
詳しい人生論については、12年後の年男大いに語るまで"To Be Continued"ということでよろしくお願いします。本日はどうもありがとうございました。
菅原 淳 会員
 こんにちは。菅原でございます。お世話になっております。1958年・昭和33年1月、小野寺さんは27日とおっしゃいましたが、私は29日で近いですね。水瓶座であります。神奈川県川崎で生まれました。
いま小野寺さんから久我山という地名が出ましたので、ついでに申し上げますと親戚が久我山に住んでいました。母の姉ですけれども、京王帝都・井の頭線で渋谷で乗り換えて三鷹台という駅で降りまして、当時は緑の電車でトコトコトコトコと行って、渋谷の次の神泉という駅の扉が半分しか開かないのです。何か崖になっていてそれが凄く不思議だなと思ったような子供時代を過ごしました。
 横浜の中学に行きまして、東京の高校に行きまして、京都市内の大学に行きまして、北海道に来てと。フラフラ、フラフラ、歩いて来て私も60歳になるのですね、しかし。酷い話だと思いますが。40歳になったとき、「ああ俺40歳になっちゃったな」と同期の者と話し合って、「まさか自分が40歳になるとは思わなかった」ような話をして。そのときは「20歳のときと全然変わらないよな」と言ったものですけれども、それから既にもう20年経ってしまって、まさか自分が60歳になるとは、と。あと20年経って80歳になるときに「まさか自分が80歳になるとは」と言う前に死んでいるのではないかというような感じもしております。
 弊社は、60歳で一応定年というか区切りになるのですけれども、社員の身分は63歳までいられまして、そのあと社員ではなくスタッフとして65歳まで働くということですけれども、ああ俺も60歳になっちゃったのだなということで、そろそろいままで社会人というよりも会社人ということで、会社に捧げてきた人生を自分に取り戻さなきゃいかんかなということを考えまして、いろいろ自分の趣味や好きなことをやるようになってきました。
その中で、前向きに暮らしていくひとつの手段として考えているのは、実は、脈絡がないようですけれども、自炊、お料理であります。前にいた東京でも単身赴任で、そこの単身者向けマンションにガスコンロが付いていなかったのです。どうせ長くても2年位だから買うのももったいないと思って、全部外食で済ませておりました。釧路に来てからも、私のところは末広の「赤ちょうちん横丁」から180歩というところにありまして、非常に食の環境が良いのですけれども。だから、ずっと外食でいいやと思っていましたが、ところが1つ困ったことが起きたのは野菜不足です。東京の街ですと、「野菜炒め定食」みたいなものを食べさせるお店がたくさんあるのですけれども、鳥取や愛国の方は分かりませんけれども、末広ですと、もちろんお魚はおいしいし、お寿司もおいしい、お肉もおいしいですけれども、「野菜炒め定食」はない。昼も野菜がたくさん乗ったタンメンみたいなもので、ラーメンももちろんおいしいですけれども野菜はちょっと取りにくいですね。鍋物にするとちょっと高級感が出て毎日は続かないと思いました。それで、これは自分でもう少し真面目に野菜を取らなければいけないと思ったことが1つです。すみません、長く喋ると、ちょっと時計を置かせていただきます。
 桜木紫乃さんの「ターミナル」という映画がございますでしょ。エキストラになった方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんけれども。こちらへ来てから、あの映画がテレビで放送していて、見ていましたら佐藤浩市が売れない弁護士をやっているじゃないですか。当会会員でもある和商市場の吉岡さんの所で鶏肉を買ってザンギを作ります。それで被告の女の子の本田翼さんと寄り添っていくというようなことですけれども、いろいろ人生で辛いことは彼にはあるのだけれども、「料理を作っていると、そのときは忘れていられるね」というようなセリフを言って、原作にそのようなところがあったのかな。これも随分格好いいものだと。私は形から入る方ですので、このように格好いいものも良いのかと思いまして、じゃ、自炊でもやってみようかということを考えた訳です。
そこで、包丁・まな板・鍋・フライパンを改めて家の近所のビッグハウスで買ってきまして、そして材料も買ってくる。自炊自体は学生時代もやっていたので、思い出せればそれほど難しくなかったですけれども。
いま、野菜がにんじん1本・玉ねぎ1個・じゃがいも2個位から小さな単位で売ってくれることが結構ありがたいですね。それでも例えば、にんじん1本・玉ねぎ1個・キャベツ1/4・じゃがいも2個、最小単位の魚や肉などそのように始めると、栄養を付けなきゃいかんと思ってしまうじゃないですか。それで、ついついそれだけで作ると結構余ってしまいます。そして新年会や忘年会など飲む機会もやっぱり皆さんと同じで多い身ですから、例えば今日買ってきたけれど3日飲み会が続き、4日目にどのように使うかとその保存方法も手探りでしております。
最近発明した方法は、にんじんを切る、じゃがいもを切る。すみませんこの話ばかりで。キャベツを切る。そして1度肉や魚と煮て置く訳です。味は付けない。今日の分だけとっておき、それを例えば和風のダシにして、いかにも鱈ちりなどそのような形で野菜をとってみる。残りは冷凍2回分位にして、同じものでもクリームシチューにするとかトマト味にしてみるとか、目先を変えるようなことをやって、何となく形になってきたかなと。
これは段々自立した老人に俺もなれるかもしれないというようなことを考えております。調理をする課程だけでなく、何を買うか、下ごしらえをどうきちんとするか、後片付けをどうするか、保存はどうするか、そこまで考えないと料理はできないのだということが分かってきていて、それは学生時代には気付けなかったことなのです。時間はいくらでもありましたから作ったら作りっぱなしで、あとは友だちと酒を飲んで「一緒に食おうや」と言って、洗いものはほっといて酒を飲んでいればいいと。ところが、36年間社会人をやりまして、仕事というものに鍛えられてきたのでしょう。その仕入れから保管までといいますか、下ごしらえも含めてきちんと手順を踏まないと日々の作業とは進まないのだなということが、ははー 俺はちょっと分かって来たぞ、さすが社会人を36年やっただけあるなと。そういう意味で、私も大人になってきたのだなということを思いました。
 一昨日の北海道新聞の夕刊に「料理を作ると脳を大いに活性化させる」という記事が出ていたのでご紹介させていただきます。
 59歳〜81歳の男性を対象に料理教室に参加してもらい自宅でも料理を作り続けてもらった結果、3か月後には、思考力や総合的な作業力が上がり、脳の機能が向上していたそうです。この大きな理由としては、メニューを考えることから料理の盛り付けまで常に考えて決めることが必要だということが挙げられます。
メニューが決まったら食材を揃え、作る順番や段取りを考え、料理中も火加減を調整したり味を整えたりします。包丁で切る、鍋を揺するなど手先を使う場面もたくさんあります。忙しさなどで料理がおっくうになるとお店で買うおかずに頼ったり、出前や外食で済ませたりしがちですが、脳のためにも少しでも良いから作るということを大切にして行きましょうといった記事でありました。
私は、いまはまだ何種類かの鍋物と炒め物ぐらいしかできませんけれども、年男の今年はレパートリーを増やして、ますます脳を使いながら自分で自分の暮らしをつくっていく自立した老人にこれからなっていくことを努力していきたいと思っています。
以上、ごく身近な話で恐縮ですけれども年男の話とさせていただきます。ありがとうございました。
栗林 延次会員
 皆さん、こんにちは。昭和21年生まれ、戌年、栗林でございます。今年は"九紫火星"ということで、いままで人知れず努力したことが結実する年だということでございますので、何が結実するか分かりませんけれど、楽しみにしているところであります。
年男のお話しですから健康について話したいと思っておりますが、やっぱり私が小学校5年から今まで続いておりますけれども、剣道をやっていたのが一番健康の証じゃないかと今つくづく思っております。
 剣道は、飛んだり跳ねたり、バタバタと道場でしますし、大きな声も出しますし、少々ずるく立ち回らなければいけないことも、頭も使わなければいけないです。また、剣道の稽古着は裏がザラザラしています。ザラザラしているところが擦れると乾布摩擦のようになって、これも良いのではないかと今までやってきています。
またこれからも、今年、新しい防具を買いましてますます頑張ろうと思っております。時間となりましたので終わります。
後藤 公貴 幹事
 後藤でございます。嬉しい時間調整になったとちょっとだけホッとしておりますが、大体3分位ということなので、むかし所属していた某団体を思い出す3分間ということであります。
先ほど、「年男の中では最年少が小野寺俊会員だ」ということでありますが、実は、私が最年少でございまして、昭和45年・1970年9月20日生まれであります。私は世田谷ではなく、生粋の釧路人でございまして、白樺の市営住宅の一番奥の方でひっそりと生まれた訳でありまして、あまり生まれも育ちも良くないというところではありますけれども、何とか小学校も中学校も高校も卒業させていただきまして、高校を卒業して1年だけちょっと他のところでトラックの運転手をやっていましたけれども、こちらに縁あって戻って来ることになり、いまの飲食業をさせていただいているところであります。
本当に良い先輩と言いますか、恵まれておりまして、このロータリークラブも41歳のとき、2011-2012年度ですから五明会長の頃でありました。そのときの理事者の脇先輩や杉村先輩が毎日のように店に訪れて、この中には工藤さんもいましたけれども、「とにかく入れ、入れ」というようなことで、自分には敷居が高いと思っているときに、最後、五明先輩と白幡先輩がお店に2人でやって来まして「末広で商売できなくしてやるぞ」と言われて入会に至った訳であります。
以来、6年経たせていただいて、こうして幹事という本当に重い重い役職をさせていただいているところでありますが、1つだけ非常に不思議な感覚に捕らわれています。木曜日という1週間が来るのが凄く早いのです。ただ1年経つのが異常に遅いのです。これって、どうなのかと。皆さんに本当に半年上期をやらせていただいて「もうほとんど終わったようなものでしょ」と言われますが、先週も言わせてもらいましたが、まだまだあと半年あります。気が緩むと僕の場合ろくなことにならないし、大きな穴を開けがちですし、いつも前のテーブルに座っているときに何か忘れているのではないかと思いながら、いつも座らせていただいておりますし、過ごさせていただいています。
本日は青島さんもいなくて、大変緊張をして例会を迎えましたけれども、本当にあと半年、皆さまにお力添えをいただきながら何とか邵会長と2人で手に手をとってゴールテープを切りたいと思っているところでございます。
小野寺会員ではないですけれども、私も「人生とは」ということは12年後60歳還暦のときの年男で大いに語りたいと思っておりますので、是非これからも皆さまのご指導・ご鞭撻をお願い申し上げまして、私のご挨拶とさせていただきます。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。


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