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2015-2016釧路ロータリークラブ 第18回(通算3384回)例会

お客さま紹介 西村 智久 会長

 本例会にお出でいただいたお客さまをご紹介いたします。米山学友であり、現在は、釧路高専情報工学科・教授をお勤めになっている神谷 昭基様でございます。

後ほど、米山についてご講演をいただくことになっています。よろしくどうぞお願いいたします。

会長の時間
会長挨拶 西村 智久 会長    

 今日は本当に満席の出席いただきまして久しぶり喜んでいます。ここ何回か、定足数に達するか達しないかという例会が続いていました。本当に満席の会員に出席いただき、講師のおかげなのかなと。今日の講演を皆さん、お楽しみにしていただいたのかなと思っているところであります。

先日、青少年奉仕委員会より『第2回東北海道高校アイスホッケー大会』兼『第24回釧路ロータリーカップ』のレセプションのご案内を差し上げていると思います。こちらの例会はメークアップ対応であります。尚、夜の例会でありますが、釧路ロータリークラブの会員は会費を払わなくて、普通の夜間例会の感覚でぜひ皆さんに出席していただきたいと思います。実は、27日から台北・中央ロータリー30周年に我々何名かが表敬訪問に行くということで、例会が休会になっております。こちらの方で皆さま方ぜひともメークアップしていただき、全国各地から来ていただいている選手・関係者をぜひ激励していただきたいと考えております。多くの出席をお願いいたします。

 本年度も、2週間ほど前に定時総会の中で選挙のお話をしました。その中間報告ですが、未だに立候補がございません。来週までですので、ご希望の方は立候補していただきたいと思います。

そういったこともあり、情報集会で『80周年に向けて』というテーマで皆さまの貴重なご意見をいただいているところでありますが、本年度はIMという一大事業もまだ残っています。来月にはクリスマス例会という我々にとっての一大事業もあります。もちろん、先ほど申し上げました台北・中央のお話もあります。気がだんだん忙しいなという思いで、今少し浮き足立っているところであります。違うところでは、中々大きい声で言えないですが、人選の選考もしている最中でございます。何かと皆さま方も忙しい時期に入ってきましたが、我々にとっては、いざ本番と言いますか正念場を迎えていると考えていますので、なお一層の会員諸兄のご協力をお願い申し上げまして、本日の会長挨拶とさせていただきます。今日は本当にありがとうございました。

 本日のプログラム

『元米山留学生の講話』

米山記念奨学会委員会 杉村 荘平 会員

 こんにちは、米山奨学委員長の杉村です。よろしくお願いいたします。前回の10月の例会は暴風雨にあたり前側3卓だけの例会ということで、ある意味記念に残る例会をさせていただきました。僕が委員長を受けさせていただいた時から、少なくとも米山奨学生・学友さんの話を聞いたことがなかったですので、我々の出しているご寄付がどのように使われて、どういう良いことになっているのかを聞く例会を1回やりたいと思って、今回の主題にさせていただきました。

 皆さま方にご協力いただいて、大委員長や白幡さんに動いていただきましたら、まさに『灯台もと暗し』で「鶴居に学友さんがいる」ということが分かりまして、今回、神谷さんをお招きした次第でございます。

お話を聞いていたら、『パドラーズ』というカヌーの団体がありまして、「舟木さんや栗林さん、尾越さんを昔から知っていますよ」ということで、前から繋がっていた方ですが本当にご縁があって、今日来ていただきました。

これからお話しをしていただければと思いますが、僕から簡単に神谷さんの略歴をご紹介した上で、話をしていただければと思います。

 日本名が神谷昭基さんです。ご出身の国籍はポルトガルで、1975年に帰化されています。1950年にマカオで生まれ、1969年に高校を卒業されています。70年に来日して、長崎大学の工学部電気工学科に入学。73年に長崎のロータリーで米山奨学金の奨学生となっています。75年に長崎大学を卒業し、東芝に入社されました。働きながら1994年に東京工業大学社会人博士課程に入学し、97年にその博士課程を修了しました。

2002年に東芝を定年退職しまして、釧路高専情報工学科教授に赴任されています。現在までその任にあたっています。2007年まで釧路に在住し、8年前から鶴居村に居住されています。

ぜひ、米山のことをお話いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

米山学友 神谷 昭基 様

 皆さん、こんにちは。パワーポイント使って説明します。私は米山奨学生で、名前は、少し読みづらいですが、ジョアン・昭基 神谷という名前で、生まれた時はポルトガル国籍です。今日の話ですが、まずは自己紹介をしまして、マカオ・東京・長崎、あと仕事は東京で仕事をしまして、仕事の出張でクウェートやフィンランドにも調査などに行きました。それを紹介したいと思います。

私はさっき紹介いただいたようにマカオ生まれで、国籍はポルトガル。名前のジョアンはポルトガル語です。英語ではジョンのことで、よくパドラーズの方はジョンと呼ばれています。父は静岡県出身で、戦争で中国に行って広東省で母と知り合って、戦争の後にマカオに移住しました。

奨学金をもらって、その後でどういう仕事をしているのかを簡単に紹介します。そのために自己紹介の詳細説明をします。マカオの中学校と高校は同じです。日本では国際学友会日本語学校に入って、長崎大学で学士、東京工業大学で博士、フィンランドヘルシンキー工科大学でDocentと取りました。Docentは北欧の講師の資格です。これは2006年です。

仕事では1975年に東芝に勤めて、発電計算機のことをやっていました。東京の府中で勤めていました。あとは、本社の技術部で通信や交通システム、ドライバーなしのコンピューターで自動運転するようなシステムの企画など行いました。開発センターでエネルギーシステムの研究開発をしました。現在は、釧路高専に勤めています。学会活動ですが、会社に勤めながらやったことですが、論文や本、特許を書いて、そして論文賞をいただきました。国際会議の雑誌の編集の役員で、学会の大会で議長も務めました。

それから、出身地ですが、右上が北海道です。左下、ずっと端っこにマカオがあります。真ん中に台湾・香港などがあります。マカオのことを紹介したいと思います。マカオの上の方がマカオ本島、中国と繋がっている所です。昔は、そこを中心に人が住んでいまして、下の2つ、今は島がひとつに見えますが、実は2つの島が昔はあったのですが、全部埋め立てられてカジノやホテルなどリゾート地の1つの島になったのです。マカオ本島の上の方で、4km×kmで昔が20万人位の人口で、釧路と同じです。非常に狭いですが静かな所で、今すごく人がたくさんいて、にぎやかです。タイパは真ん中の島で、昔は農村です。下の島はコロアネといって、その島も農村でした。一番下のオウキン。オウキンにあるマカオの大学ですが、これは中国の中にある大学ですが、トンネルを作り、キャンパスを作りました。大学キャンパスでは中国の土地ですが、マカオの法律に従い紙幣もマカオ紙幣です。そこで大きな大学ができて、そこを中心としてマカオが広がる、発展するようなことが言われています。ここで大学キャンパスが今年の7月にオープンしました。

これ、皆さんご存じのように世界遺産に認められています。これはマカオの本島のお話です。マカオと中国と繋がっている場所です。私の生まれはここです。ここの端っこの方で、私の母校はここです。ここに山があります。30分くらい毎日歩いたり、自転車で通っています。マカオは400年位のポルトガルの歴史があって、ポルトガルの欧州の建築物が今でも残っています。あと中国系の建物ですね、大きな建物です。そこで中国、昔の家などが見ることが出来ます。私はマカオで歩くのが大好きで、歩くのは非常に面白いと思っています。4q×4qの狭いところで、昔は学校によく通いますが、人も少ないし、1日3回位は同じ人に会っています。そういうところです。

私の中学校です。中国語では中学校は高校という意味です。中学と高校を合わせて中学校と言います。そこの山の麓に学校があります。1925年に設立され、約90年ですね。今年がちょうど90周年で12月には同窓会があります。小学校から高校までの一貫教育です。海外に移民している同級生が結構いますが、今でも携帯を使って連絡を取り合っています。同窓会も私は去年まで毎年参加したのですが、毎年開催されます。ちょっと遅れていますが、私は今年の6月から急に耳が聞こえなくなって、聞こえにくいです。最近、体の調子が悪くてマカオにこの1年間行っていないです。

1969年に日本に来まして、国際学友会の学校に行っています。日本人の先生はたくさんいます。妻も香港出身で、そこで出会って、留学生との楽しいこともあったのです。留学生は大体1年間で日本語が話せて、大学に入学して勉強しています。30年経った今では、この国際学友会の名前は変わりました。東京日本語教育センターという名前になっています。高専に毎年5〜6人の留学生が来ますが、彼らも同じ学校です。同じ学校で1年〜1年半、日本語を勉強して高専に入ったり、大学に入ったりしています。

私、1971年に長崎大学電気科に入学しました。大学3年生です。米山奨学金をいただきまして、勉強も集中できて、成績は2番目でした。ロータリークラブのミカン狩りやクリスマスパーティーに参加して、非常にロータリークラブは親切な方が多くて楽しかったです。毎月、こういう例会・食事会があり参加させていただきました。夕食も時々招待されて、非常に良かったです。

75年に日本に帰化したのです。当時は、石油ショックで就職も難しかったのです。私も就職して、入社したが1ヶ月自宅待機だったのです。難しい時代だったのです。ロータリークラブのおかげで勉強ができて、その勉強のために会社に入れたということです。プラントの計算機や技術開発など、その間には東京工大で学位をとって、ロータリークラブから時計をいただきました。

これは、クウェートに出張した時の話です。1時間前には晴れていた天気がこのように急に砂嵐になります。クウェートで1ヶ月のキャンプのシーズンです。遊牧民族は昔のことです。クウェートの方に砂漠キャンプに招待されて、うちの女房です。隣がクエートの方です。中国語が流暢です。中国で留学したクウェートの方で、奥さんは香港の方で、今日は時間が無かったので後でまた。

釧路では、パトラーズの方にお世話になり、温かい方が釧路には多くて、カヌーや登山など。鶴居村で薪ストーブを使って楽しい生活をしています。ちょっとつまらなかった話で申し訳ありません。ありがとうございました。


会長謝辞

 神谷先生、ご講演ありがとうございました。マカオは1回行ったことがあります。商工会議所の青年部で、カジノの視察ということでマカオの世界遺産とカジノのすごいギャップにびっくりしましたし、マカオタワーの上に昇って足が震えた覚えがあります。「よくあんな所でバンジージャンプをする人がいるな」と「中国人が作ったものだから危ないのではないかな」と思ったくらいです。本土と渡っている橋で「中国人は来るけど、帰りはカジノですった人はここの川に飛び込むのだ」と聞いたのですが、それは嘘ですよね。それぐらいにマカオは楽しいところであります。

僕は米山の学友といいますと、モンゴルや中国・ベトナムなど、地区大会でお会いすることがあります。釧路クラブの最近ですと、白崎会員がアドバイザーをやっていたチョウイッコクでしたか、女性がモンゴルから来たお話をする機会がありますが、なかなか釧路の大学が留学生を受入れていないのか、ほとんど2500地区では旭川と帯広が米山の奨学会になっています。

良い機会だったと思います。米山の学生がどういった気持ちでロータリーに感謝しているのかを具体的にお話していただいて、本当にありがとうございました。釧路で長く10何年かお住まいということですので、これからも釧路をゆっくり楽しんで、マカオに行くときには、釧路の・北海道の・日本の宣伝をぜひよろしくお願いいたします。

本当に今日はありがとうございました。

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