本文へスキップ

〒085-0016
釧路市錦町5-3 三ッ輪ビル 2F
TEL0154-24-0860

2015-2016釧路ロータリークラブ 第11回(通算3377回)例会

お客さま紹介

西村 智久 会長

 皆さんこんにちは。本日のお客さまのご紹介をいたします。本日、講師を務めていただきます、株式会社北海道サラダパプリカ・代表取締役社長、小林豊様でございます。

 本日の食事の中に小林様が長野で栽培されました数種類のパプリカが入っているそうなのでお楽しみにしていただきたいと思います。


木下 正明 会員 挨拶
    

 木下でございます。貴重なお時間を少し拝借させていただきます。先日、父の葬儀がございまして、東京ということで、クラブからも西村会長様からも、またクラブの皆さま方に神社の方へご香典をお届けいただき、また会場へお送りいただき、本当に皆さまのご厚情に感謝をいたします。

 父は、94歳で亡くなりましたが、死ぬその日まで食事をしていましたし、1週間前までは旅行に行き、友人と麻雀・ブリッジ・囲碁・将棋・旅行と、本当に死ぬ間際まで楽しい生活を送っており、満足する人生だったと思います。そのような人生を閉じるにあたりまして、皆さまにお香典、ご供花、心のこもった弔電を賜りまして本当にありがとうございます。

 父は、東京で勤めていましたが、釧路にも少し関係がありまして、釧路の焼却炉は三菱重工の父の事業部で建設をさせていただきました。また、バルク港湾の選定を釧路港でされましたが、選考のすぐ前までウチの父がバルク港湾の選考委員を務めていたということで、非常に関係があったことをお知らせしたいと思いましてご連絡をさせていただきました。

 また、当社のお祭りなどもございまして、皆さんに色々とお世話になりましたが、十分なお礼等が出来ず申し訳ありませんでした。また、今後ともどうぞよろしくお願いします。

ありがとうございました。


会長の時間
会長挨拶 西村 智久 会長    


 皆さん、こんにちは。実は昨日、お爺さんデビューをさせていただきました。後ほどニコニコで紹介をされと思いますが、母子共に健康で元気な男の子が生まれましたことをご報告させていただきます。残念だったことは、本日は、私の大ファンである石川遼の誕生日でありまして、1日ずれていれば石川遼と同じ誕生日になったのに、ということがひとつ残念に思っているところであります。石川遼は、本日から『全日空オープン』で、只今・ワンアンダーということであります。明日、8時10分スタートですから、早朝3時頃、家を出て応援に行こうと考えています。テレビ観戦、ぜひ皆さまの応援をお願いしたいと思います。

本日は『地区大会』について少々お話しさせていただきます。来月、旭川の地で地区大会が開かれる訳でありますが、お陰様で皆さま方に30名のご登録をいただきまして、堂々と大きな顔をして地区大会に参加出来ると考えています。

今回、皆さまもご存じのとおり、少し変わった日程組みで、どうしても2泊になるという方もいらっしゃいます。
 その中で、我々クラブの五明SAAがクラブビルダー賞ということで、沢山の会員を入会させたスポンサーということで前年度の奧周盛ガバナーより登壇のうえ表彰を受けることになっております。時間は
1450分からですので、釧路ナイトを目指して来る方も出来るだけ表彰に間に合って来ていただければ、五明さんも喜ぶと思います。

 地区大会といえば、私も青田会長の年度のときに幹事を務めさせていただきまして、急遽その場で焼肉屋を予約して釧路ナイトを開催したことを覚えております。また、そのときは大変な大雨で、皆さんに、翌日早朝にお願いをして帰っていただきました。会長・幹事だけ最後まで残った訳ですが、帰りは、あわよく通行止めでもう1泊しなければいけない状況でありました。我々の車の3台後ろで通行止めになっておりました。バックミラーを見たら通行止めになっていて「良かったね」と本当にギリギリの世界でやって参りました。

 そのように、出物になると、何か楽しい思い出、楽しくない思い出もありますが色々失敗談もあるでしょう。普段親睦を深めている我々でありますが、より一層の親睦を深められる場所だと思っております。今後、今年度も台湾に11月に行く予定があります。来年6月には、「皆さんでソウル国際大会に行こう」と呼び掛けております。出来るだけ多くの楽しい思い出を作るために参加をお願いいたしまして本日の会長挨拶とさせていただきます。

 それでは、本日もまたよろしくお願いいたします


退会挨拶 中山 峰啓 会員
     

 皆さん、こんにちは。先週の10日は、盛大な送別会を開いていただきましてありがとうございました。

 私共の会社ですが、4月・6月が定期異動ですけれど、今回は10月ということで、非常にびっくりしております。多分、あの宴会のあの言葉が気に障ってなのかなというサラリーマンの宿命でございますけれども、私が一番心残りにしていることが、やはりホームページを中途半端にしてしまったことです。本当に申し訳なく思っております。今後、工藤さんや川本さんなどに色々とお願いをすることがありますけれども、ひとつよろしくお願いしたいしたいと思います。

 皆さん、どうもありがとうございました。

 本日のプログラム

『植物工場の進出大楽毛でパプリカ栽培』

プログラム委員会 委員長 境出 雅仁 会員

 皆さん、こんにちは。昼前より久々に本気で会議を行っていて、すっかりロータリーを忘れていて、慌てて先ほど来たところです。

 本日は、いま紹介がありました、来年2月くらいに大楽毛でパプリカ工場が動き出すという、株式会社北海道サラダパプリカの小林豊社長にお越しいただいております。

 小林社長は、長野県出身で、大楽毛に工場をつくるということで、色々な背景、今後の動き等のお話しをいただけると思います。本日の昼食に“きのことパプリカの炒め物”と“パプリカを使ったケーキ”をセンチュリーキャッスルさんにお願いをして出していただきました。味は大変美味しかったと思っております。

 もう1つ、パプリカというものは、国産物が少なく、ほとんど輸入物を使っているということで、工場が釧路に出来て飲食界に国産の出来たてのパプリカが流通することによって、また美味しい食材が増えるのではないかと思っています。

 それでは、小林社長よろしくお願いいたします。

株式会社北海道サラダパプリカ 代表取締役社長 小林 豊 様   

皆さん、こんにちは。本日は、伝統ある釧路ロータリークラブ様にご招待をいただきまして、ここでこのようなお話しをさせていただけることを大変嬉しく思っております。何分未熟者でして、上手く説明が出来ないこともあると思いますけれど、色々お話しの中でご質問をいただければ答えていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 まず、私の自己紹介からさせていただきます。名前は、小林豊と申します。1996年からパプリカ栽培を長野県で行っておりまして、以来18年位パプリカをいじっております。今まで長野でパプリカ栽培を行っていましたが、今回、色々なご縁をいただきまして釧路でパプリカ栽培をさせていただくことになりました。写真にあるこの大きいピーマン、これは本物ではございません。ウチのフェイスブックのお客様が「これは本物ですか」と聞いておられる方がいらっしゃいます。これは偽物でございます。そのようなことをしておりました。

2015年3月19日、釧路市に『北海道サラダパプリカ』という会社を設立させていただきました。

まず「パプリカって何でしょう」というご紹介をさせていただきます。西洋野菜でございまして、元々はピーマンと同じ系統ですが、南米より持って来られた品種らしいです。一般的に言われますが、コロンブスによってヨーロッパに持ち込まれ、ヨーロッパの中では特にハンガリーでよく食べられ、ハンガリーの国民的な野菜として有名でございます。現在は世界中に広く行き渡っている野菜でございまして、一部、明治時代に日本へ渡ってきた物がピーマンと言われます。ピーマンは薄い果肉の品種を未完熟の状態で収穫する物を、日本でピーマンという名前で呼んでいます。元々はフランスのピメントという言葉が語源となっているようですが、いずれにしても、ヨーロッパから入って来ました。

パプリカは、日本では現在あまりスーパーマーケットでもフェースが小さくて、ありますが沢山並んでいない。ですが、パプリカの消費状況をひも解いてみますと、結構、年間安定して使われています。特に、多いのがパプリカのほとんどが海外産と言われています。大体80%〜90%位が海外産で、そのうちの60%が韓国産のパプリカと言われています。月で見ますと、平均的に日本へ輸入されております。これは何をいっているかというと、まず、安定して輸入されるということは、需要が安定して日本に存在しているということ。ただ、我々国産のパプリカ農家として、日本に何社しかありませんが、日本のパプリカはあまりマーケットがありません。黒い棒グラフが日本のパプリカの出荷量ですけれども、ちょっと特徴的なことが、2月・8月・9月は荷物が少ない。結局、いま日本には少ないですけれども安定した需要がありますが、国産のパプリカ農家さんに関してはまだ8〜9〜10月、1〜2月、この辺りで供給出来る技術と言うかそのような物を持っていないがゆえに、特に食材用途のお客様からは国産パプリカは「あれば嬉しいけれど、物量があまり安定していないから信用出来ないね。だからなかなか使えない」と言われていた野菜でございます。このような感じで、輸入のパプリカが市場を牽引しているというマーケットでございます。

なぜ、8〜9月、1〜2月が難しいか。1つは夏。夏の日本は、パプリカを栽培するには暑すぎます。このグラフ、パプリカを栽培するには暑すぎる気温。ちょうど赤い帯になっているところは、ここの気温が入って来るとなかなかパプリカを栽培することが難しいです。赤い折れ線ブラフ、これは長野県松本市の日中の平均気温を表していますが、これが暑すぎるところを超えて入ってしまいますのでなかなか難しい。それに対して、波線が、パプリカはヨーロッパが一番作られているメッカですけれどもヨーロッパの中でも特にオランダですね。オランダの気象条件は、7月・8月でもパプリカの栽培提供のところに入っているということで、日本で夏に作るには少々難しい野菜でございます。冬は冬で、日射量が少なく栽培することが難しいということがこのグラフでございます。オランダも、冬は日射量が少ないですが、このグラフの裾の方が冬で、真ん中が夏になるというグラフでございます。段々夏に向かって日射量が伸びて来て冬に向かって下がっていくという感じでございます。

 私共、長野でパプリカ栽培を行っていますが、この8〜9月の収量の落ち込みを何とか補完をして、国産のパプリカ農家のステージを1つ上げたいという思いで栽培を行って来ました。何を行ったかというと、パプリカを安定化させるには夏暑すぎることをどうにかする。簡単に言うと冷やすということになりますが、若しくは、冬の日射量が足りないときに太陽の代わりとなるような人工照明を使って生産量を増やす。この2つの方法が年間を通して平準化していく方法として考えられます。我々は、ライトを使ってパプリカを沢山採るという技術よりも、夏の暑いときにどのように生産性を上げていくかということに特化したそのような栽培を長野で行っておりました。かなり特殊な栽培で、この図は分かり難いかも知れませんが、まず、温室をクーラーで冷やします。当然、温室をクーラーで冷やすことはただごとではありません。空調を行っている方は分かりますが、太陽の光を入れながら冷やすことは大変なことです。

それで、太陽の光の中でも、植物が必要な光と植物が使っていない光が太陽の光の中にはあります。植物が使っていない光を遮断するフィルムを開発して、入って来る太陽のエネルギーの50%位は温室には入らない。けれども植物に必要な光は70%以上透過する特殊なフィルムを作りまして8〜9月に生産性を上げることに成功いたしました。少々専門的な話になりますが、このような波長のフィルムです。緑の帯のところが植物が必要な波長域、それ以外のところは植物が必要ではないところです。植物が必要なところだけ選択的に沢山光を入れてくれるというフィルムです。

これを行ったらどうなったかというと、「日中の気温をきちんと下げられました」というのがこのグラフです。上のグラフが外の気温を計ったもの。下のグラフが温室内の気温を計ったもの。我々、1月の第1週を第1週、そこからずっと週で管理を行っていきますが、32週は、夏8月ぐらいの一番暑いときです。その時期でもきちんと気温は押えられました。気温をコントロールしながら、温室の中の栽培を普通の会社でよく行う手法『PDCA』を栽培に取り入れました。 

どのようなことかというと、植物はただ生っているように見えますが、果菜類というのは、自分が成長する成長と、もう1つ自分が実をつける成長と、2つの成長を同時に行います。生殖成長栄養成長と言いますけれど、我々もそうですが、そのどちらの方向に植物を動かしていくのかを1週間の頭に決めます。「今週は沢山実をつけてやろう」。実をつけるだけだと、植物は子供が多いと育てることが大変ですよね。ダンナの給料が良くないと子供も沢山育てられないので、ダンナの給料も増やさなければいけない。ダンナの給料を増やすことが栄養成長と呼ばれる成長ですが、その成長をどちらにするかを1週間の頭に決めます。それに対して「気温はこのように変化させよう」「湿度はこのように変化させよう」ということを1週間かけて実行します。

実行をすると、当然、気温を測って行きますが、そのようなことを行って、各温度、各湿度、温室の外・中などの確認をして「きちんと最初の予定どおり気温を変えられたね」と、そのインプットの確認をいたします。ですから、毎日気温の計測を行います。次の週の頭に、「先週の頭に、このように植物を変えたいと思ったけれど、きちんとなったのかな」ということをチェックします。これは、植物の体を計ります。具体的には、成長点から最初に付いている花の距離や実の数などを計測します。それによってきちんと出来たかどうかを確認します。出来なかったことの方が多いですね、あるいは、ちょっと近づいたけれど完璧には出来なかった。このようなことを分析します。分析をして、最初に立てた戦略との差異を確信して、管理がよくなかったのか。あるいは管理の目標値がよくなかったのか。管理はしたけれどきちんとそのとおりに気温が追随してくれなかったのかを分析します。これで1回完結をしますが、これをまた、次のプランに活かして毎週このようなことを繰り返す訳です。このようなことを繰り返して、先ほどのクーラーを入れたという2つの技術を持って生産性が上がりました。

斜めの折れ線グラフは、赤・黄・オレンジのそれぞれ毎週の積算の収量を示しています。最終的には年間に生産出来るパプリカの量は、温室1u当たり28sという実績を持っています。国内の平均だと、17sや15sで、波線で示したところが国内農家さんの平均値になります。この上の波線がオランダの農家さんの平均値です。オランダの農家さんは、物凄くいまのPDCAが進んでいまして、各農家さんがほぼ同じタイプの温室で、同じ計測方法で計測して、それで仲間内で話をします。「この技術は今回上手く行ったか行かないか」や「僕はこうやったけれど上手く行かなかった」「こうやったら上手く行った」などの話を仲間内で話をします。それで1つ、先ほどのPDCAが回るようなインフラ設備を、例えば先ほどの「暑すぎる」あるいは「寒すぎる」あるいは「日射量が少ない」というところをクリアするとPDCAが回るので、暑すぎるとなぜPDCAが回らないかというと病気が発生する訳です。病気や害虫にやられる確率が上がる訳です。このような害虫・病気は、暑すぎると確率的に発生する現象ですけれども、それを、データの中で発生する年もあれば発生しない年もある。このような変数を残してしまうとデータとしては次の年使えないのです。ノイズになってしまうので、そのような植物の生理条件の中で出来るような管理を我々は行いました。

オランダの農家さんも、実はオランダの農家さん気象条件が先ほどの最初のグラフにあったように非常にパプリカの栽培条件に適しているのでPDCA元々回るような環境下で栽培されています。また、オランダの農家さんの国民性と言いますか、向こうの夏は日が長くて夜10時位まで日が出ているので、6時に仕事が終わると、ある農家さんのところへ集まって、ビールを飲みながら雑談を始める訳です。そのうち段々真剣に栽培議論になってしまいますけれど、そのようなところで、皆さん午後の仕事を終えた後一杯やりながら技術を深めていく。そのようなことをされています。長野では、オランダの近いところまでは達成出来ました。

信州サラダガーデン農家としての強みは、全国的に収穫量が減少して、需要があるという夏期においてパプリカ安定生産をする技術を持っています。それでオランダ並みの収穫実績を持っています。あと、パプリカの消費動向ですね。最初のグラフに示しました、月別のパプリカ消費量の棒グラフがあったと思いますが、そのような動向を我々農家としては、細かく掴んでいる方の農家です。そのような状態で、ずっと小さいながらも長野でパプリカを栽培しておりました。

釧路市で事業化をさせていただくチャンスがこのあと起こります。背景としては、先ほど言ったように慢性的なパプリカの供給不足があり、国産農家があまり信用されていないという市場のコンディションがあります。そのあと、私共一介の農家が今回の植物工場のような大きなプロジェクトが出来る訳ではなくて、色々な方のご支援があり、ここに私も立たせていただいている訳ですけれども、そのときに「どのような場所がパプリカの栽培に適しているか」を全国でサーベイさせていただきました。調査を行っていくときに、釧路の気象条件を見たときに「もうここしかないだろう」と。パプリカを栽培するには、暑さが問題になり、寒さが問題になりますが、暑さをクリアする、涼しくすることがもの凄くエネルギーを必要とする作業で、長野ではあのように無茶なクーラーを使うということを行いましたけれど、釧路ではそれをしなくても十分、オランダと同じ、それより少し低いくらいの気象条件、気温がこの地にはあると、その地の利がここにはございます。

 北海道、勿論、釧路市様からこのお話をさせていただいたときに積極的なご誘致、ここでお話をさせていただけるご歓迎をいただきまして、それで決めさせていただきました。今回は、まだ会社の全容を明らかには、出資者で1社が決まっていないところがあり言えませんが、色々な出資者の方の農業に対する高い志もいただきまして、そのような人の和もあり、「もうこれは私共が農家として立たない訳には行かないだろう」と今回ここに設置させていただくことを決めました。

 どのような会社かと言いますと、『北海道サラダパプリカ』という会社ですが、大楽毛北2丁目4番地、5番地で温室を作る予定としております。ここは斜向かいに王子マテリアさんという製紙会社様がございまして、そこの一角で農場を建てる予定としております。概ね、正社員とパートで30名ほどの会社とする予定でございます。温室の面積は大体ちょっと見え難いですけれども、栽培面積で2.3ha位の温室栽培面積でございます。今回の私共の会社のミッションとしまして私が考えていることは、まず「日本一、安定供給が出来るパプリカ農家を目指しましょう」ということ。あと、今回、農政関係の補助金をいただかずに行おうとしている、正に「民業で行おうとする農業」を考えております。これは、“言うは易し、行うは大変難しい”のですが、今回、農業の補助金なしでまず『成立する農業にチャレンジを我々が行いましょう』ということで、これも1つのミッションとしています。同時に、民業で成立するのであれば、それこそ新しい一次産業というものをこの釧路市から発信することが出来るということで、新しい一次産業、生産をするだけではありません。他にも色々考えていく訳ですが、そのような一次産業という形を何か提案していくこともミッションとしております。

 北海道から出ているパプリカの出荷時期ですが、一応このようなスケジュールになっておりまして、平成27年冬、この冬に種を播いて、来年の春ぐらいから出荷しようかと考えて降りますが、この予定も、もう少し後ろへずれるかも知れないということであります。

 温室のレイアウトですが、皆さん温室をあまり見られたことがないと思います。このような温室です。ビニールですけれど『フッ素フィルム』と言いまして、普通のビニールだと10年位でダメになってしましますが、20年から30年位持つ長期耐候性があるフィルムを使いまして栽培を行う予定です。温室の高さが5.8m、樋の下で5.8mという高さはちょうど、この梁の下くらいに樋があるという感じで、見た目からして少し大きい温室でございます。

釧路で、夏秋出荷のパプリカを実現して行きたいと。夏期の気温が低くパプリカの産地としては最適地だと考えています。いまは、夏の話ですがこの農場では、ライティングを行い冬の栽培も増やそうと実験的ではありますが、そのようなことも行う予定でございます。

生産・販売の他には、これから地元の企業様と色々なサービス業との連携、例えば外から来るお客様の呼び込みやインバウンドで使えるような商材のような物もここで作っていけたら良いと思っています。あとは、一次産業の農家の方、あるいは酪農の方、漁業の方と何か連携をして加工食品などを一緒に販売活動を行いたい。そのようなことが出来たら良いと思っています。

ここからは、『信州サラダガーデン』のパプリカ農場の様子です。まだ大楽毛には出来ていないので、サラダガーデンの写真で大体の様子を見ていただければと思います。この左側の小さいポットは種を植えてから2〜3週間くらいの苗でございます。それを右側の四角いポットに植え替えて大きくしていきます。このような感じで大きくなった苗は、ロックウールに2個定植していく。ロックウールというのは石綿ですけれど、そこへ定植していく。そうすると、成長して来て花が咲き始めます。花が咲いたら実が生り、大きくなって、小さい上の実の写真から下の写真まで大体7週間から8週間位で赤い状態に変わって来ます。黄色のパプリカはこのような感じになります。これも先ほどの写真と同じですが、木の高さは最終的に4m位の高さまでパプリカの木は伸びていきます。上の写真はどこかのテレビ局の取材の様子です。そのような感じで栽培を行っています。

ここからは、パプリカ料理を少し紹介させていただきます。これはウチのパートさんが作っているフェイスブックのページの料理を抜粋して来ました。僕もよく分からないのですが、キッシュというパイのようなものを使っておりました。鶏肉のドレッシング和えこれも非常に美味しかったです。ナスとパプリカの生姜醤油実は私これが一番好きでして、素揚げしたものを単に生姜醤油に付けるだけという非常に簡単な料理ですが非常に美味しかったです。あとは、天ぷらですね。天ぷらも美味しいです。やはり油や酢と非常に相性が良い野菜でございます。これは、正に夏のサラダで出すようなコンソメジュレを使ったサラダでございます。詳しくはフェイスブックの『信州サラダガーデン』で検索をしていただければ、料理が100種類くらい出ていますので、ご参考にしていただければと思います。

 少々駆け足となりましたが、これから釧路で頑張って参りますので、どうか末永くご指導ご鞭撻もよろしくお願いいたします。以上でございます。

会長謝辞

 小林様、ご丁寧なご講演をありがとうございました。先週、厚岸町にウイスキー工場を建設するというニュースが出ておりました。これは映画『思い出のマーニー』の関係で厚岸がロケ地になったことで、目に止まり「イギリスと同じような気候だ」ということで設定されています。

釧路農業も釧路市農業が阿寒に吸収合併するぐらい「釧路市内に農業は育たない」という僕らのイメージを、逆に「この気候が合うからこそのパプリカ」ということですので、皆さん何か合う物を探せば何か作れるという目からウロコのお話しをいただいたと思います。

是非、我々も応援いたします。ロータリークラブへのご入会もお願い申し上げまして謝辞を申し上げます。

本日はありがとうございました。

 

点鐘



ニコニコ献金
 お名前(敬称略)  内        容
西村智久会員 おじいちゃんデビューです。
木下正明会員 父の葬儀に際しまして、クラブの皆様に大変お世話になりました。ありがとうございます。 
杉村宏司会員 日ハムの野球教室無事終了しました。
川合隆俊会員 当社の「うに割機械」がTVで全国放送になりました。
中村峰啓会員 大変お世話になりました。
  累計 388,000円