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2014-2015釧路ロータリークラブ 第47回(通算3365回)例会


会長の時間

会長挨拶 田中 正己 会長
この度、吉田浩正会員が退会されることになりました。吉田会員におかれましては約2年間でしたが、その間『年男大いに語る』で竹下登さんという政治家が「幸せは長く、挨拶は短く」と。また、ご講話では『報道から見る北方領土について』など、貴重なお話しをいただいたことありがとうございます。
 皆さんと仲良くしていただき、よい思い出をそれぞれたくさん作っていただいたことと思います。皆さんと慣れたころ転勤とは寂しい気持ちになりますけれど、転勤族の宿命だと思います。これからも健康に気をつけてますますご活躍されますよう願っております。
 さて、6月20日、『第7分区第6回会長・幹事会』が川湯観光ホテルで山辺ガバナー補佐を囲み開催されます。今年度、最後の会長・幹事会となります。来週の例会は『キャンドルパーティー』でございます。早いもので、来週の例会で私の任期が終ります。最後までどうぞよろしくお願いいたします。
 

退会の挨拶
 株式会社北海道新聞社 釧路支社長 吉田 浩正 会員
ただいま田中会長からご紹介をいただきまして、この度、来週の22日付けで関連会社の道新総合印刷というところに出向をすることになりました。本当にこの2年間、皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございます。
 私、釧路は今回が2回目で、1回目は1995年ですからもう20年前に4年半報道部のデスクとして勤務をしておりました。その時は、東京支社から釧路へ来ましたが、東京で最後に担当をしていたのが北海道開発庁。いまは北海道開発庁という役所はなくなってしまいましたけれども、そこで開発庁の次官から「いま釧路では『シビックコア』を計画しているのでよろしく頼む」と言われました。『シビックコア』というのは、いまの合同庁舎の建設とその関連のあの辺りの開発のことです。ですから今回釧路へ来まして、当時はまだNHKさんの隣にあった開発建設部が、いまの合同庁舎の所へ来て、あれがいまこのような形で実を結んだのだなと思いました。今回あらためて釧路に来まして皆さんに「釧路はさびれたでしょ」とよく聞かれるのですが、確かに以前はまだ丸三鶴屋がやっていたころでしたから、その意味では寂しいですけれども、ただ駅前の通りは、当時金市館がもう閉店していて、そこがルートインになっていたり、それから北大通のお店は随分減りましたけれど、代わりにビジネスホテルが建ったり、それから耐震岸壁が整備されて旅客船が入るようになって、そういう意味で着実に良い方向に動いているような気がしております。
 本日はたまたま同じテーブルに着かせていただきましたけれども、木村さんをはじめ、長期滞在の取り組みが進んでいて、これも本当に北海道の中で注目をされています。前回も来たときもそう思いましたが、釧路の方はどうも遠慮がちというか、本心はそうではないかも知れませんけれど、まずは私共のような外から来たものに対しては「このような所へ来て」というような形でお話しをされる方が多いですけれども、実は本当に色々なことをお考えになっていて、ロータリーに入らせていただいて嵯峨記念育英会の話も聞きました。嵯峨さんというお話しも聞きましたら、港の整備や漁業の整備に力を尽くされた方ということで、民間の力も非常に底力があると改めて思っておりました。その中で皆さんに、これまで取材の関係ではお付き合いさせていただけなかった方々とお知り合いになれて大変充実した2年間でした。
 今度の道新総合印刷というのは、北海道新聞を中心に新聞と折り込みチラシを印刷している、かつては、道新本体にあった工場をまとめて別会社にしたところです。道内に6ヶ所ありまして、その本社は北広島インター近くの大曲にあります。これから私は大曲に通うことになります。道東道も来年は、阿寒も開通しますし、ますます釧路と札幌が近くなり、その辺でも楽しみにしております。本当に2年間ありがとうございました。


国際大会報告
『2015年サンパウロ国際大会』報告
清水 幸彦 会員

ご紹介いただきましたようにサンパウロの大会へ行って参りました。これは、先日もらった袋ですね。アメリカが英国から独立したと同じように、ブラジルもポルトガルから独立した。独立をしたときの独立記念公園の模様です。植木さんが確かサンパウロにご縁があるようなことを聞いておりました。
 私が最初に訪れましたのが、1981年です。34年前に行ったときに旅行社が写真集を作ってくれました。そのときの写真を見ますと34年前の若い私の写真が載っていますけれども、そのようなものはよろしいです。それからもう1つシャツをもらいました。日本へ帰って来ると着ることはありませんが大事にもらって来ました。
 81年に行きましたときに泊まったホテルと今回全く同じホテルに泊まりました。パウリスタ通りのすぐ近くです。同じホテルに泊まりました。この確立はなかなか難しいそうですけれど、たまたま当たったというだけです。それから日本人街がリベルダージ地区ありますけれど、昔、「日本人街」と言っていた所が今度行きましたら「東洋人街」となっていました。植木さんのころは何だったかは分かりませんけれど、東洋人街で日本人の寿司屋がありますが、これを韓国人が経営をしていたり、ベトナム人がいたり、様々。34年経って模様が変わって来ているようでございます。
 さて、地区大会ですけれども、ゲイリーC.K.ホァン、台湾の方がいまの会長です。そういうことがあって、台湾の方が大変張り切っていまして、一生懸命タスキをかけてやっていました。ご存じでしょうけれど、ゲイリーC.K.ホァンは元々台湾人ではありません。本省人ではなくて、昭和でいうと24年、中国から毛沢東の軍隊に敗れて逃げて来たというと変ですが、その2代目です。ということで、中国に対する感じはあまり良くないようです。
 今回の大会は、同時通訳で日本語が入って、韓国語が入って、中国語が入りますが、中国語は北京語が入っているそうです。だから香港の方と台湾の方にとっては本当の国の言葉と少し違うので、聴き取ることは出来るけれど、話すことはなかなか難しいということでした。
 それから、色々な分科会がありますけれど、気が付きませんでしたが、日本語グルーブの中では職業奉仕のことがあって日本人も出ましたけれど、かえってフィリピンの人や何とかの人が堂々と喋ります。大したことはやっていないのに。日本人の方はかなりやっているけれどあまりお話しにならないので、ちょっと控えめな感じがあります。
 それから、気が付きませんでしたが、東日本大震災のときに、「3月11日の日本の災害に対する援助」という項目があって、外国の方がロータリークラブでもたくさんの来てお手伝いをしました。日本ではあまり知られていませんけれど、彼らは凄く大々的に「日本をこんな風にやったのだ」ということをやっています。宣伝の力というのは大分違うものです。
 それからもう1つ、来年が韓国のソウルで国際大会です。これは89年に次ぐ2回目ですけれど、韓国人の方も大いに威張ってやっています。台湾人も大いに胸を張ってやっている。それに比べて日本の方は割に控えめだった。
 それから、81年のときサンパウロ大会に15,222名が登録をしていました。少ない数ですこれは。例えば、東京大会が1978年に開催されそのときは40,000人が出席しました。1番多かった国際大会の出席は大阪大会で45,000人。ソウルの人が「来年は大阪を越せ」と言っていますけれど、うちも沢山出席してほしいけれど大阪を超えるほどの出席はしなくてもよろしいと私はそのように考えております。
 色々申し上げることはありますけれど、国際大会に出席しますと楽しいことも沢山あります。南米とはご存じのとおり、北極から軸を指すと南極に行くと同じように、東京から軸を指すと真っ直ぐにブラジルに行くということです。従って、季節が誠に反対である。ただ時差が12時間ですから、東京の午後10時がサンパウロの午前10時。逆に、サンパウロの正午が日本の夜12時で、おかしなことに、時計がそのままで合っている訳で午前午後を考えなければ色々なことがございます。
来年ソウルに行くときは、一生懸命頑張って沢山で行きましょう。


本日のプログラム 
一年間を振り返って(会長・副会長・幹事)

黒田 恒史 幹事
 前田大委員長が本日も出席出来ないということで、メッセージをお預かりしていますので、代読をさせていただきます。

 『一年間を振り返って』前田委員長
 あっという間の1年でした。私自身も入会をして経験も浅く、大委員長として何をどうして良いものやら分からないままのスタートでありました。各委員会に出席をする中で、多数の先輩会員の方々よりひとつひとつ丁寧に教えていただき、本当に教わることだらけのそのような1年間でありました。
 入会間もない会員にとっては、どのような委員会も役職も初めての経験でありますので、いわばロータリークラブにおいては赤ちゃんと一緒でございます。色々な経験、体験を重ね、少しずつ理解し、メンバーの皆さまのために働けるようになっていくものと考えております。出来ましたら、出来ない人間を叱責するのではなく、温かくご指導ご鞭撻をいただき釧路ロータリークラブの歴史と伝統を学び知ることから始めることにより、若い会員の皆さんも伸び伸びと活動が出来るのではないか思っております。どうか若手会員の皆さんへは、寛容なお気持ちで育てる感覚でご指導をいただければと心からお願いを申し上げます。
 大変拙い大委員長で、伊藤委員長をはじめとする親睦活動委員会、中山委員長をはじめとするプログラム委員会、そして登坂委員長をはじめとする出席委員会の皆さまにご迷惑をおかけし、力不足であった一年間にお詫びを申し上げますと共にご協力をいただきました会員の皆さまには、心から感謝を申し上げます。一年間ありがとうございました。
 ということで前田大委員長よりメッセージをいただいております。ありがとうごさいました。


田中 正己 会長
『一年を振り返って』を報告させていただきます。本日は、私と天方副会長ということでお話しをさせていただきます。
 最初に、伊貝パスト会長から第78代目会長のご指名をいただいたときに、「感動の一年間を健康で輝いて下さい」とお言葉をいただきました。私の健康を気遣っていただいたことに感謝申し上げます。
 私の信条は、『真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり』。そのことを心して1年間、活動を行ったつもりです。皆さんのご協力ご支援により本日までクラブ運営を行って参りました。

 私が本年度の方針として取り上げました事柄について、反省を含めてこの達成状況についてご報告をさせていただきます。
 
◆7月1日、最初の表敬訪問。釧路東クラブから始まり第7分区山辺ガバナー補佐と各クラブ表敬訪問を無事終了いたしました。
◆8月11日、甲子園球場で、第96回全国高等学校野球選手権大会で釧路勢として35年ぶり出場の武修館高校は初戦で敗れたものの見事な戦いぶりで釧路市民に感動を与えてくれました。
◆8月23日、紋別ロータリークラブ60周年記念式典に出席をして参りました。
◆8月23日・24日、釧路市民球場で全道中学親善硬式野球大会が開催されました。
◆9月17日、中井会員がご逝去されまして、当クラブといたしましては大変貴重なメンバーを1人失いました。改めてご冥福をお祈りいたします。
◆9月18日、ガバナー公式訪問、事業計画発表。奧ガバナーよりご講評をいただきました。
◆9月、第34回ライラセミナーが帯広で開催されました。
◆10月、米山月間、米山記念奨学会チャリティーゴルフコンペ。NAYUTAの会から募金をいただきました。釧路北クラブ17名の会員がメークアップに出席されました。
◆10月16日、3333回記念例会を末広館でロータリアンの友情と親睦を深めました。
◆10月、帯広で地区大会が開催されました。30名ほどの参加をいただき、大変楽しく友情と親睦を深めることが出来、感謝とお礼を申し上げます。
◆11月20日、クラブ創立記念。釧路ロータリークラブは、1936年(昭和11年)11月23日誕生。来年は、80周年。“傘寿”を迎えますので全員参加をして下さいますようよろしくお願いいたします。
◆11月、釧路ロータリーカップ観戦例会。初めての第1回東北海道高等学校アイスホッケー大会・第23回釧路ロータリーカップ、歓迎レセプションが開催されました。
◆12月4日、年次総会では、木下会長ノミニー、次年度三役・理事、次年度白幡ガバナー補佐が決まりました。年末家族会には、130名ほどの参加により盛会に行われました。
◆1月8日、新年恒例会に沢山の参加をいただきました。
◆2月9日、梁瀬名誉会員がご逝去されまして、改めてご冥福をお祈りいたします。また、クラブ在籍55年。この間クラブに多大なご寄付をいただき本当にありがとうございました。
◆2月19日、武藤会員がご逝去されまして、改めてご冥福をお祈りいたします。
◆3月、嵯峨育英奨学生卒業報告会が行われました。
◆3月、職場訪問例会、福司酒造で行いました。また、平成26年度全国新酒観評会にて5年連続金賞受賞おめでとうございます。
◆4月、情報集会報告会の発表がございました。新入会員歓迎会も行われました。
◆5月15日、武修館高校でインターアクトクラブ加盟登録式。私と青少年奉仕後藤委員長の2人で式典に参加いたしました。
◆5月17日(日)、野遊会。釧路市千代の浦マリンパークで行われ、メンバーが家族合せて30名ほどご参加をいただきました。
◆5月21日、嵯峨記念奨学生新入生紹介。今回は5名の新入生が選ばれました。
◆5月29日(金)~30日(土)2日間、国際ロータリー第2500地区インターアクト地区大会が「釧路市音別町体験学習センター・こころみ」で開催され、今回は武修館高校が当番校、釧路クラブが主幹となり無事終了をいたしました。
◆6月、『一年を振り返って』。四大委員長の報告も終わり、あと来週、6月25日キャンドルパーティーで締め括りたいと思っております。

 本日まで、私を支えていただきました天方副会長と黒田幹事にこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。また今年度の理事・役員・各委員会委員長、皆さまにも本当に心優しく温かく支えていただいたことに感無量です。沢山の感動・感激・感謝をいただきました。また、大変貴重な経験をさせていただきました。心よりお礼を申し上げます。
 本当に1年間お世話にました。ありがとうございました。


天方 智順 副会長
まずは、まだ終っていませんが1年間本当にお世話になりました。“黒子に徹する副会長”と言われますが、本当の黒子は黒田幹事でございまして、小野寺副幹事と山本副幹事にもお世話になりました。本当にありがとうございました。
 最初から、1つ苦手なことがあったのです。滑舌が悪いものですから、例会の司会をしていて絶対言いづらい言葉があります。前任の甲賀副会長も来年の髙橋副会長もどうなのかと思いますけれども、私はこれが言えないのです。ロータリーソングを歌い終わった後の「ご着席下さい」が言えないのです。いま言っても言えない、何か言いづらいですね。これを最初から上手く言える日と、何度言ってもダメな日がありました。いままで40何回か例会をさせていただきまして、この滑舌が悪いことで皆さんにご苦労をかけたと思っております。
 昨年の7月から当クラブに16名の新入会員を迎えることが出来ました。その中で、転勤族を除く地元の方が8名も入っていただきまして本当にありがたく思っております。会長の挨拶にもありましたけれども、方や3名の会員を亡くして本当に悲しい思いをしましたけれども、新しい仲間が16名。そして地元の方も多かったということで本当に嬉しく思っています。来年は私、会員増強の方の担当ですので引き続き新入会員の獲得に尽力したいと思っております。
 ここに初めて座る方が初めて経験されることで、1つ怖いものがあります。“この席”です。こちらの席に座る方がおっかないのです。本日は皆さん凄く良い方3名が座っていますけれど、大体いつも座っている方を思い浮かべていただければ本当に怖いのです。司会でトチッたりしますと、「ギロっ」と睨まれるときもありましたし、特定の銘柄のビールを出さず「気が利かないな」と言われたこともございました。でも、厳しい中にもきちんとした今年度の運営を願っている皆さんの思いが十分伝わりましたので、後半には少し慣れさせていただくことが出来ました。髙橋副会長、来年気をつけて下さい。最初はプレッシャーですから。
 来年、7月からですけれど、ずっとそこへ座らせていただきましたので、今度は何処へ座ろうかと思っております。本日は出ていませんが、そこら辺にある“第6卓”と私の中で言っていますけれどもその辺りになるかと思いますが、何処にでも座れる権利はあると思いますので、行く先々のテーブルで皆さん温かく迎えていただければと思います。
 昨年6月の最初の例会で申し上げましたが、「『それでこそロータリー』の歌詞に違ったところがある」と申し上げました。何処であっても“嫌”と言えない。見つけたときにも“おい”と言えない。これは未だにそうです。ですが、厳密に言えば昨年ですけれど、1つだけ本当だと思うことがあります。“遠い時には手を振り合おうよ”、ゴルフ場でこれは本当によくあります。尾越SAAと何度も手を振り合ったことは記憶に新しく、本当にそのとおりだったと思っております。
 本当に1年間お世話になりました。来年から、また一般会員に戻りまして西村年度をきちんと支えて行きたく思っております。


ニコニコ献金
 お名前(敬称略)  内        容
 清水 幸彦  サンパウロでの国際大会に参加。
 中村 幸史  昨日の件、反省してます。
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