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副会長挨拶 浅野 洋 副会長
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改めまして皆さんこんにちは。
今日は会長が奥様に逃げられた訳ではないのですが、奥様が出張中ということでどうしても店を抜けられないということで欠席ということでございます。ずっと出席の良い会長でしたので私の出番はないかと思いましたらありました。後にも先にもこれでもう終わりかと思っています。この後、嵯峨と米山ということで、結構時間のかかる議題がありますので、早くということになっております。
昨日、あるライオンズクラブの方にお会いをしましたら、ライオンズクラブ、2クラブ無くなったそうです。釧路の管内で。かわりに10何名ですので、しょうがないということで、新しいクラブを1つ立ち上げる。どうしてそうなったかと言いますと、なかなか解散したクラブからすぐ違うクラブに入会するというのは大変なのだと。それで新しいクラブを1つ立ち上げるのだけれども、私に「お前、何か良い名前ないかね」と聞いていましたけれども、そのようなことでどこのクラブも大変だというように思います。そのような中で後ほど情報委員長の方からお話しがありますが、炉辺会合で楽しい例会作り、どうなのかということでお話しになりますが、もう少し出席率を上げ、多い参加ということで、参加していただけるようなかたちに持っていきたいと、余り多くなりますと本音で話をしますと例会費が掛かるようになりますので、ただその辺は夜間例会を少なくしたりしてということで出来るのかというように思います。
例会を楽しくということで、今川本委員長のご尽力で大変新入会員が増えまして、まだ予定者が3人くらいいらっしゃいますし、1人は事故で入院をされまして入会にはきておりませんけれども、これから徐々に仲間が増えていきます。最近は席順が固定化してきております。是非この辺のところ親睦委員会の皆さんで席順を抽選などのかたちにしていただきまして、新しい会員には温かく声掛けをしながら仲間作りということではありませんけれどもロータリー本来の親睦を高めながらと。
また1点、社会奉仕に赤い羽根の募金運動が来ております。前回もしておりますけれども、是非またこの変もこのような季節ですので少しでも皆さんで強力をしていただきたいというように思います。
羽生会長の代理ということにはなりませんが、一応会長のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。 |
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新入会員挨拶
釧路厚生社 遠山 秀樹 社長
初めまして。株式会社釧路厚生社の遠山秀樹と申します。年齢は46歳でございます。この度ご縁がありまして入会させていただくということになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。存じ上げる方も多数折られますけれども、釧路厚生社、会社の方のお話しを少しさせていただきますと、会社の方は廃棄物処理を、産業廃棄物や建設業から出るような色々な廃棄物の処理をしておりまして、それ以外に上下水道施設を釧路市、釧路町、近隣町村の上下水道の管理をさせていただいております。それ以外に清掃業務、あとは色々なメンテナンス業務ということで、会社の創業が47年、その前進の会社を含めますと70年近くということで、釧路市、釧路町、そのようなかたちでの廃棄物処理、清掃業をさせていただいております。
実は私、今年の5月に前社長より社長を受けまして、前社長中山の方が代表取締役会長になったのですけれども、今回社長になりましてロータリークラブのガイダンスを受けさせていただきましたけれども、個人的にも会社的にも社会的責任や社会的貢献というのを一層考えるようなことになりまして今までもロータリークラブ、色々なところからお誘いいただいてはおりましたけれども、この度色々な方のご紹介の中からこちらの方へ是非入会させていただきたいということで、今日の運びとなってございます。
実は前社長の中山はこちらでは無く南の方に以前所属していたということで聞いておりますけれども、うちの会長が「お前、自分で決めなさい」ということで色々お知り合いの方がおられまして、この度入会させていただくということになりました。
ルールといいますか、仕組みといいますか、全然分からない部分なのですが、先輩の皆様からお教えいただきながら頑張っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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「米山月間にちなんで・嵯峨記念育英会について」 |
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『米山月間にちなんで』
山口 房伸 国際奉仕委員長
米山月間ということで、先日何をするかということで少しお話しさせていただいたのですけれども、毎年ガバナーさんや色々米山に詳しい方に説明、お話しをしていただいているということなのですけれども、今回はあまり時間が無いということだったものですから、今米山奨学生の康さんに4月から半年くらい過ぎたということで5分か10分くらいのお話しをしてもらおうということで連絡を取りまして、何かちょうど米山月間のものですから、昨日は北、それから来週は西クラブにも行って例会でお話しすると、米山月間でちょうど良いということでございますので、米山奨学生の康さんに忌憚の無いお話しを5分程度していただきたいと思います。ご静聴お願いいたします。
康さん、よろしくお願いいたします。
米山記念奨学生 康 慧娟 さん
こんにちは。今回は私の5年半の留学生活について話したいと思います。原稿も用意しました。
日本に来てもう5年半の時間が経ちました。青春の20代、半分の時間を北海道で過ごしまして、北海道は私の第2の家のように感じます。思い出したら日本に来て最初の1年間、ほとんどの留学生と同じくつらい時もある、ホームシックもある、幸せな時もある、しかしいつでもどこでも心を温かく感じさせる日本人がいます。最初アパートを借りる時、保証人が必要です。でも信頼関係がないと誰も保証人にはなりたくないことは知っていますが仕方がないので、当時のアルバイト先の料理長に頼んだら、すぐに同意をもらえました。日本のあらゆることに興味を持っています。私は食べ物も同じ、何でも食べてみたいのです。納豆を食べられない日本人先輩がいますが、私はおいしく食べられます。それで初めて先輩に日本の本場の回転寿司をごちそうになりました。その日に初めてパチンコに連れていきました。忘れられないことは先輩からただでもらった3,000円がすぐになくなりまして、そして今はパチンコがどういうことか分かったので2度と来ないでねと話しました。そして私、これまで2度と行ったことは無かった。冬になると北見では雪が驚くほど降ります。でも仕事に行かないといけないので、自転車にも乗れないしバスも間に合わないから、アルバイト先の女の子が私の事情が分かったら仕事へ行く度に遠回りしても私を連れて一緒に行きます。日本で最初の寒い冬に心があたたかい、もし中国にいる日本の留学生がこのような優しい人に出会ったら、なんと幸せなことだといつも思います。
5年半の時間に6回引っ越し、10種類のアルバイトをする。そして釧路短期大学に入り、米山奨学生になること、この全ての期間、経験と出会いが私を成長させます。今よりももっと自信をもつようになる私がいます。励ましてくれた人、助けてくれた人、知識を教えてくれる学校、大変お世話になっている釧路ロータリークラブ、恩返しとしては勉強を頑張って、日中世界友好の為、世界平和の為、自分の力で貢献することしかないと思います。これが私の変わらない目標です。以上です。ありがとうございました。
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『嵯峨記念育英会について』
財団法人釧路ロータリー嵯峨記念育英会
吉田 潤司理事長
皆さんこんにちは。今年の6月で前理事長の藤井さんが退会しましたので、先般の理事会で私が理事長になりましたので、どうぞよろしくお願いします。
私も長いこと理事もしていたのですけれども、あまり嵯峨育英会のことについてはよく分からなかったのがありまして、色々な問題点もありますので、少しつまらない話になるかと思いますが、是非皆さんに聞いていただきたいと思います。
今日は嵯峨記念育英会の歴史と、嵯峨記念育英会の現状、それから嵯峨記念育英会の展望、問題点、これを含めてお話しをし、もし時間がとれるようであれば皆様方の方からアドバイス、それからご質問があれば、私の知っている範囲でお答えしたいと思います。また、今後の方向につきまして皆様のご意見をいただければと思います。
財団法人嵯峨記念育英会といいますのは、元々は釧路の漁業をされている嵯峨家の意志で作られました。嵯峨家初代の嵯峨久さんの育英会を作りたいという夢をご子息の嵯峨晃さんが、形になしたものであります。嵯峨久、旻様は、お二人とも釧路ロータリークラブのチャーターメンバーで、晃さんは後にガバナーにもなった方です。
副港の方には嵯峨岸壁というのがあるくらい、当時嵯峨漁業部の勢いは大変なものでした。住吉町にありました、嵯峨さんの家は、昔の武家屋敷のような、大変立派な家でした。嵯峨育英会は昭和36年の12月に財団法人嵯峨青少年育英会という名前で最初は発足しているのです。これは許認可は、文部省で法人登記は釧路地方法務局でされております。スタート時の基金が、1050万円でしたので、今のお金で換算すると1億円以上なったのではないかと思います。
ただ残念ながら当時の資料というのがほとんどありません。先般、資料整理の中で、当時の育英会名義の拓銀の通帳がありました。大変貴重なもので、これから検証いたしますが、当時の育英会の資金の流れを通して、育英会の状況が分かるのではないかと思います。
嵯峨漁業部創立者の嵯峨久さんは、商売上は大成功を収めましたが、若いころは、大変苦学をされて、自分ももっとお金の心配をしないで勉強したかったと思っていたようで、同じような気持ちの釧路の優秀な苦学生に援助をしたいという思いを持っていたのですが、その夢もかなわないうちに、志半ばで亡くなってしまいました。
ご子息の嵯峨旻さんが後に父の意志を実現しようということで嵯峨さんのご家族、ご兄弟皆様の同意をいただきまして、昭和36年に財団法人嵯峨青少年育英会作りました。当時育英会を作るということは、実際問題育英会という制度が全国的にもほとんど無く、現在のようにインターネットで調べるすべもなく、手引書はもちろん参考資料もほとんどないなかで試行錯誤の上大変苦労して育英会を設立したようであります。当時は釧路市内の著名人の方が理事となっており、現在当クラブ在籍の泉敬会員が当時の監事をされていました。運営方法も試行錯誤しなかなか順調にいかなかったようです。当時は、現在のように株式市場も発達しておらず、運用益を作る方法は、銀行預金が主でしたが、預金利率が良かったので運用益を作ることにはそれほど苦労はなかったようです。しかしながら運営そのものがなかなか難しくて、また当時嵯峨旻さん本業、公職両方が大変忙しく、また奨学生の募集・面接・給付・関係書類作成等をほとんど1人でやっていたので、時間的制約のため運営が順調にいかなかったようで、結果育英会は、休眠状態にありました。
その後昭和47年に嵯峨旻さんが突然お亡くなりになり、結局泉会員が理事長代行ということで続けられたのですが、創立者が突然亡くなり、後継者が育っていなかったこともあり、休眠状態がしばらく続きました。
この嵯峨育英会は、大変歴史が古いものですが、今日のロータリー米山奨学会が、昭和27年に東京ロータリーで作くられましたが、それから遅れること7年で作られたということは、この北海道の果てでやはり資料も情報も無い中でつくるのは大変だったようでございます。
その後今日までずっと続いてきている途中の経過なのですけれども、財団法人嵯峨青少年育英会初代理事長嵯峨晃さんは、昭和36年から47年までされています。泉さんが理事長代行として昭和47年から昭和51年までされました。釧路クラブに移行されまるまでの記録というのは先ほど言いました通り全くないのです。それで結局、休眠状態にずっとありましたものですから、これを何とかしなければならないということで嵯峨家及び育英会の方より釧路ロータリークラブに無償で譲渡したいので以降の運営等を引き受けてもらえないかという申し入れがありました。
そこで釧路ロータリークラブでいかに対応すべきかいろいろ議論がなされた結果、昭和50年11月4日の総会で承認されました。
昭和50年11月23日に、釧路ロータリークラブの創立40年の式典がありましたが、この時の記念事業としてこの育英会事業を受け継いだのかどうかは、また当時育英会を受けることについてのクラブ内の総意がどういうものだったかは、当時の活動報告書にも一切載っていないのです。総会時の意見や、総会での承認に対しての挨拶文も何もありません。どうしてこうなのかと思いますが、育英会を受けたとしても、釧路ロータリークラブの外部法人という扱いで、クラブの財政、運営等に大きな負担を与えないということもあり、すんなりと承認されたのではないでしょうか。
また、どうして釧路ロータリー嵯峨記念育英会という名称となったのか、なぜ釧路ロータリークラブ嵯峨記念育英会という名称つまりクラブというのが入らなかったのかということが非常に疑問でした。
現在退会されてますが、第3代理事長村上敬さんに問い合わせましたところ、育英会は、釧路ロータリークラブで受けるが、これは釧路市内のロータリークラブ全体で受けようではないかという話があり、それで釧路ロータリー嵯峨記念育英会になったということです。
初期の頃の理事は全員釧路クラブの会員だったのですが、評議員には、他のクラブの会員の方も入っておりましたが、それが年月の経過とともに運営等について、釧路クラブが中心で行うことがスムースに進行できるということもあり、市内の他クラブの評議員より運営等すべてを釧路ロータリークラブ単独で行ってほしいと申し入れがあり、いつのころからかは不明ですが、釧路ロータリークラブが単独で運営することとなり現在に至っております。ただこれだけの事業を創立40周年記念の事業で受けたのかと村上氏に問い合わせたところ明確にこれは違うよ。記念行事とはまったく別個で検討しクラブ承認を受けたとのことです。
その後昭和51年の1月24日に第1回の理事、評議会が開かれまして、そこで奨学生を募集するということが始まったのです。
理事長の経緯は以下の通りです。
初代理事長 昭和51年~昭和56年 嵯峨信さん
第2代理事長 昭和56年~昭和06年 三原正二さん
第3代理事長 昭和60年~平成17年 村上敬さん
第4代理事長 平成17年~平成21年 藤井正信さん
前理事長の藤井さんが退会されましたので、平成21年6月30日付けで 私が第5代目の理事長に就任いたしました。
初代理事長の嵯峨信さんは、嵯峨旻さんの長男で、釧路クラブの会員でありましたが、昭和56年に大変若くして亡くなりました。当時の基金が1500万円でした。
基金の運用益が低いために、財団の運営が大変という話が出たころは、私は理事でしたが、育英会の制度・法律に疎く、財団の運営が大変なら基金を取り崩せばいいのではないかと安易に考えていましたが、これは今の制度では、基金を取り崩して分配金、奨学金を払うというは出来ないという事が分かりました。
さて昭和51年の活動報告書に初めて嵯峨記念育英会が登場しました。
当時全国のロータリークラブの中でいわゆる外部法人としての財団育英会を持っているクラブは、米山奨学会以外は皆無であり、断片的な資料しかありませんが、現在育英会を運営し、継続的に奨学生活動をしているクラブは、ほとんどないのではないかと思います。
今月は米山月間ですが、当然クラブとしましては、米山奨学会に基金増額をしなければならず、当クラブには、嵯峨記念育英会があり、そちらからも基金協力をしなければならないため、歴代の会長は苦労されていたようです。
今後もロータリークラブが単独で育英会を持つということは、なかなか出来ないと思いますし、作るのも大変ですし、後ほどお話ししますけれども公益法人改革もありますので、尚難しいと思います。
それで初年度昭和51年は8名の方に月額5000円を給付しておりますが、現在は月額1万円を2名の方に給付しております。
当初は、奨学生の推薦を中学校に依頼したために、色々な高校に高専も含めて工業高校等から奨学金が集まっていまして、中にはラサールに行かれた方にも給付されているようです。
第1回目の奨学生を追跡しましたら、3人は分かったのです。1人は松浦邦彦さんという方。この方は湖陵高校から札幌医科大学へ行きまして、現在は釧路がんセンターの所長で内科医であります。本当は今日、来ていただいてお話しをしていただこうと思ったのですが、松浦さん自身も胃カメラや大腸カメラの検査を担当しているので、少なくても3週間か1ヶ月くらい前に言ってもらえれば、検査予定を組みかえることができるので、奨学生だったころのお話しを是非してみたいということでした。それからもう1人は藤原浩巳さんという方で、この方は工業系の方なら知っている方もいらっしゃるかと思いますがコンクリート業界の方で大変有名で、東京工業大学から日本セメントに入りまして、その後アメリカの大学へ行かれまして、現在は宇都宮大学の教授をされているということでございます。それからもう1人の方は北海道庁にいらっしゃると思います。このようなことが釧路ロータリー嵯峨記念育英会のスタート時の歴史です。
ただ残念ながら育英会に関する資料がほとんど無く、手探状態で調べなければならず、基本的には活動報告書より調べるしか方法かありません。過去の活動報告書の中には「奨学生を4名採用しました」等、奨学生の学校はもちろん名前すら記載のないものも多く今後も追跡等はかなり難しいのではないかと思います。
次に釧路ロータリー嵯峨記念育英会の現状についてお話します。
釧路ロータリークラブには嵯峨記念委員会と財団法人嵯峨記念育英会の2つの組織がありますが、釧路ロータリー嵯峨記念育英会は、外部法人であり、資金運用、奨学生募集、奨学金給付を行います。
それから報告書等や、理事役員の変更書類が面倒なのですが、書類の作成は、財団法人の方で行い、委員会の方では奨学生の対応が主たるもので、奨学生を例会に招待したり、卒業する時に奨学生よりスピーチをもらったり、記念品を渡したりします。
昭和51年に初年度の委員会が出来ましたが、規約の中で、嵯峨育英会というのは三年委員会にする。委員会活動費は、クラブ予算で行うということでした。つまり財団の運用益は、奨学生への給付金、税金、報告書等作成費用、その他それらに関する費用そのものにしか使ってはならないという規定で、これは今も守られており、年に1回開かれる理事会は、クラブよりの補助をいただいて行っております。
運営上の問題点が色々あります。
第一点は、これは最近三年委員会をしていない弊害かと思いますが、奨学生の中に退学している方に、その事実を知らずに給付を続けていたこともあります。三年間奨学生をケアすると同時にこのような問題を防ぐことができるのではないでしょうか。また、奨学生を成績優秀者にするか、苦学生にするということもあります。過去に両親とも公務員の方や商売をされていて、月収が30万円、50万円という方がおり、果たして苦学生なのか?ということもあり、これはどうしたものか考えさせられることも少しあります。それから転校される方も結構あり釧路外に出て行った方に対しても給付すべきか、それより市内にいる高校生を応援した方がいいという考えもあります。
これは今後育英会の中で検討していきたいと思います。
後ほど時間がありましたら、この件につきましてもご意見をいただければありがたいです。
財団の事業は、大変簡単で、奨学生への給付金を作り、奨学生に給付をするということで、基本的には資金を集めまして給付するだけの事業ですから、運用益が順調な時代は、代々理事長及び理事一人で出来た時代だったので、決算報告書をクラブに出すだけで十分で、情報公開しなければならない事項は、なにもなく、結局情報公開をするという感覚がありませんでした。このことが、この数年の間に各種の預金および運用利率が最盛時の1/10以下となり、運用益が給付金以上に集らなくなりましたが、過去理事長は、クラブに育英会の実情を報告し善後策をクラブ全体で考える必要がなかったので、運用益が厳しくなってもクラブに相談することもできず、理事長及び理事数人で、頭を悩ましていたようです。
今後の問題としまして情報公開をどんどん進めクラブ会員全員で問題を共有し方向を決めていかなければだめな時代になったと思います。やはりこれだけの育英会であれば広く皆様に内容を知っていただき、現時点では嵯峨記念育英会は、大きな曲がり角にあり先行き多少不透明感もありますが、嵯峨家のご遺志とクラブでの長い歴史とクラブの大切な財産ということで会員全員で育英会をぜひ支えていただきたいと思います。会員皆様の格別のご理解をお願いいたします。
財団法人釧路ロータリー嵯峨記念育英会の仕事は、奨学生募集から始まります。毎年4月に湖陵高校と武修館高校の学校長宛に推薦を依頼しております。決定は大体4月の末日くらいで、奨学金は年間4回、4月、7月、10月、1月に分けて支給しております。1年生は4月には、間に合わないので月に支給しております。
5月の例会に奨学生をクラブ例会に招待しクラブ会員に奨学生募集経過報告を含め奨学生をご紹介いたします。また3年生は、卒業時に来ていただき将来の抱負を含め、スピーチをしていただき、クラブより記念品をお渡し奨学生を激励します。
財団では、報告文書がたくさんある等、理事役員が変更したり、毎年活動報告書を提出したりと色々書類を作らなくてはならず、これも尾越会員、武藤会員、甲賀会員に格安で、ほぼボランティアの費用でお願いしている状況です。現在の取引銀行は北洋銀行と釧路信用金庫で、北洋銀行の方は運用益が入金され、そこの運用益中から運営資金を釧路信金に移し替えて、その中より給付しているという状況です。クラブからは大変大きな財源、年1回5月に皆様の人頭割分としましていただいているのと、年度末にクラブ会計の中から剰余金が出ましたら寄付していただき、また会員よりの指定寄付等をいただくことで何とか運営している状況であります。
最後に釧路ロータリー嵯峨記念育英会の展望と問題点についてお話しいたします。ご存じの通り、育英会は、結局基金の中から利息を出してそれを給付金ことなのですが、昔は利率は、年利6%、7%という時代でしたが、現在は0.2%と最盛時の1/30になってしまいました。仮に基金4、250万円を全額運用としても85,000円くらいしか運用益金が入いりません。それで人頭割が1人4000円ずつ上期に2000円、下期に2000円もらいましても、仮にクラブ会員が100名としても40万円、結局運用益機を合算しましても、485、000円しかなりません。
給付金の方は、現在1学年2名×10,000円×12月×3学年=720,000円となり、給付金だけでも235,000円の不足となります。給付金以外にも、税金、給付金振込手数料、各種書類作成費用等で約50,000円必要で、概算の不足額は、約300,000円前後になります。
それと年度末にクラブから剰余金をいただくということがありましても、今後会員減少ということになりますと、益々厳しい状況になることは明白であります。昭和60年度就任しました3代目理事長村上敬さんの時代でも利率は、年利0.8%くらいでしかも高金利時代の運用益金より基金に回さないでプールした普通預金がかなりあったようで、先般村上さんにお会いした時に給付金等につきましては、そんなに苦労しなかったと言ってました。第四代藤井理事長の時には、利率も下がり、しかも普通預金も少なくなり、大変苦労されていたようです。藤井さんも、過去の理事長が、運用益を作ることを1人で行っていたということもあり、クラブやクラブ会員に資金寄付要請お願いしたりできなかったようで、大変苦労されたのです。現在の監督官庁は北海道教育局ですが、財団基金の運用は、安心なもので運用しなさい。リスクの大きなものは基本的には避けるようにという指導でした。そうすると安心のものとは、国債や、銀行の定期預金ということとなり、そうすると必要な運用益金が集まらない。結果育英会が立ちいかなくなる日が来ることになります。
それで一部証券会社の分配型債券というのを利用することになったようです。これは、毎月かなりの分配金があり、運用によっては、配当金もあるという夢のような債券でした。しかしながら、分配型債権は、低金利時代運用が厳しく、評価額がどんどん下がっていました。
この種の債権を1600万円持っていたのですけれども、現在の評価額は、が大体1000万くらいになってしまい600万円前後目減りをしてしまいました。そこから運用益を債券購入時以来大体4~500万円はもらっているのですが、結局タコに例えますと、タコの足という分配金を食べてタコ本体という債権評価額が小さくなってしまったということで、これも大変に頭が痛い問題なのです。これも今後この債権をどうしたらいいのか色々検討中です。
結局この運用益金不足問題を解決する選択肢は、そんなにありません。現在の人頭割4、000円を仮に6、000円にしますと、それだけで600,000円となり、安心のできるもので基金を運用すると、何とか育英会の運営ができそうであります。しかしながら、クラブ会費を値下げしようという動きに逆らって、人頭割を増やしてほしいとクラブに申し入れることは、会員皆様の賛同を得るとは到底考えられません。
このような状態が育英会の現在の大変難しい問題になっております。
それからご存じの通り法人改革がありまして、いわゆる公益法人改革というのがあります。これは公益法人が漢検ではないですけれども、一部の公益法人は、非常に税制上の優遇を受けているにもかかわらず、多額の内部留保を行ったり、親族一同が公益法人より違法な配当、給与等をもらっていたりと大変不透明な法人が多くなりました。
そこで公益性を高めた法人には税制上の優遇される公益法人財団と税制上の優遇はしないという一般財団に区分し、法人を厳しく指導する公益法人改革がおこなわれる事になりました。
平成25年の12月までに、私たちの財団法人も一般財団社団になるか公益法人社団になるかということを選ばなければならなくなりました。釧路ロータリー嵯峨記念育英会が、公益法人社団を目指すか一般社団を目指すか今後の課題でもあります。理事の中の矢澤会員が、法人改革について担当することとなりましたが、矢沢会員は以前釧路市の教育委員でもあり、その関係で北海道教育委員会の方にパイプがあり、適切なアドバイスをいただきながら早急に方向を考えてきたいと思います。ただ、公益法人になりますと、色々な優遇策もあり、ステータスの面でも魅力がありますが、公益法人へのハードルは相当高く現状では難しいのではないかと思います。では一般財団にするとどうなるかといいますと、これからの一般財団は基金を持たず、すべての資産を普通預金として持つという一般財団を作ることが出来ますが、その場合給付金が不足しましても普通預金より転用できますが、結局は、育英会が将来消滅する方向を目指すこととなります。基金すべてを運転資金として使っても良いということになったので、極端に言いますと仮に毎年50万ずつ使っていきますと、80年くらい育英会は継続できますが、80年後は、普通預金が零の育英会となってしまいます。また、一般社団を目指す時に資金計計画書を作成しなければなりませんが、80年もの資金計画を立てても教育委員会の方では、認めてくれないのではないかと道庁の担当者は、言ってました。仮に資金運用計画を20年で立てるということは、20年後に育英会が消滅するかもしれないことと、給付金をもっと多くしなければならず、資金不足なのに奨学生を増やすか、1人当たりの給付金を増やすかジレンマにも陥ります。
現状での育英会の最大の悩みは、運用益が十分集まらない。なんとしても集まらないのです。それから現在保有の分配型債券をどうするかも大きな問題です。評価損が出ますが、分配金があることは、運営上魅力でもありますが、評価損が今後増えていくのではないこという恐れもあります。当座は、この債権をしばらくは持たざるを得ないと思いますが、将来売却した時に、売却損が500万円、600万円、1000万円と出てしまったらその評価損金をどこから捻出するかという問題もあります。まさか評価損金をクラブ会員に分割していただくということもできません。このようなことも大変頭が痛い問題なのです。
ただ一般社団を目指しますと、資金運用計画をどのように作るかは別問題としまして育英会を、基金を取り崩しながら運営するということはそんなに難しいことではありませんが、果たしてこれは将来育英会が消滅することを前提としており、そのような計画を立ててよいのかどうなのかもあり、これもなかなか頭の痛い問題であります。
とりあえず雑駁ですけれども、釧路ロータリー嵯峨記念育英会の歴史と現状と、これからの展望と問題点をお話ししました。
今後釧路ロータリー嵯峨記念育英会をどのような方向に持っていかなければならないか、これからどうしたら良いかということを考えていかなければならないと思っております。この結論が出ますのは最終的には平成25年12月が、法人改革の申請締切期限で、まだ時間がありますが、育英会はその間も休むことはできません。そのためにも、年度末にクラブより決算が終わり年度が終わりました時に剰余金の中から釧路ロータリー嵯峨記念育英会の方に寄付していただいておりますので、これは現会長及び以降の会長になられる方は何とか釧路ロータリー嵯峨記念育英会続けていく為には剰余金より相当額の寄付を嵯峨育英会にお願いしなければなりません。
どうぞ釧路ロータリー嵯峨記念育英会の現状をご理解いただきますようお願い申し上げます。
そのようなことでもう時間が無くなりましたけれども、釧路ロータリー嵯峨記念育英会及び今後の運営等につきましてご意見、アドバイス等ありますたらぜひお願いいたします。
質問 (人頭割を増やすことは無理である。ベストな方法は何か?)
に対して
返答
結局今のところは法人改革で公益法人になるか一般法人になるかは別にしましても、人頭分担金を増やさなければ、基金取り崩しという運用計画を立てなくてはなりません。今のままの制度でいきますと80年近く持つことになるのですけれども、先日の北海道庁担当者との話では80年の資金運用計画を立てても通らないだろうと言っていました。80年という資金運用計画は認められない。20年とか30年といわれる恐れがある。結局、無くなるということであればもっとたくさん払って無くせと言われる可能性もあり、ベストなほ法は、模索中です。
質問 (それであれば、将来財団が消滅の可能性があっても、給付金
を増やし夢のある優秀な高校生たとえば医師を目指す学生とかに現状より多く給付してはどうか)
に対して
返答
そうですね。はい。基本的には多分このままでいきますと、やはり皆さんから人頭割分、もう少し増やして下さいということ無理で、給付機を増やすか、奨学生を増やすかの選択になると思います。
この流動資金をどのように利用するかというところに行きつきます。現在まだ法人改革の中身があまり分かっていないので、なるべく早く矢澤会員に概算の資金運用計画を作り1度申請をしてみようと考えております。今後色々な動きがあると思います。またクラブ皆さんの皆さんのご意見も聞かなければならない時期もあると思います。会員皆様には、情報公開しご相談をしたいと思います。
それと最後になりましたけれども、今の財団法人釧路ロータリー嵯峨記念育英会は基本的には理事、評議員は会長経験者でやってきているのです。しかしながら釧路ロータリー嵯峨記念育英会は、大きな曲がり角に来ております。私個人的には、釧路ロータリー嵯峨記念育英会は今後も残るものです。出来れば理事の入れ替えをして若い人に少し入っていただいて、本当に若い人の感覚も含めて、これからどうするか運営を考えていきたいと思っておりますので、それにつきましてもこれは財団の理事会の中でまた相談したいと思います。
最後になりますが、釧路ロータリー嵯峨記念育英会は、クラブの大きな財産であり、本当に得難いものであります。今後も皆様の温かい支えをお願いいたします。
本日は、釧路ロータリー嵯峨記念育英会に貴重なお時間をいただきまして大変ありがとうございました。
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10月29日(木) 12:30~13:30 釧路キャッスルホテル
「会員卓話-カジノ誘致による観光振興への取組み-乗山 徹会員」
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担当:プログラム委員会 |
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合計・・・515,000円 |
(敬称略) |
福田 義雄・・・・欠席ばかりし、ご迷惑をおかけしております。 |
中村 幸史・・・・ドバイの兄が無事退院しました。 |
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広報会報委員会 担当:佐藤 尚彦 |